白潟総研 承継ストーリー 《承継直後の2年間》| No.2 畦田サイド

事業承継によって石川が社長に就任し、私はNo.2として支える立場になりました。
違和感のない、そうなるであろうと思われた新体制です。

ただ、私が最初から社長の右腕として十分な役割を果たせていたかと問われると少し考えてしまいます。
No.2として会社を引き継いだその変遷をこの2年間を振り返りながら整理していきます。

目次

2023年10月:違和感のない事業承継

事業承継で石川が社長になると聞いたとき、正直なところ大きな驚きはありませんでした。
むしろ「そうだよな」という感覚に近かったと記憶しています。

白潟総研に入社した時点で、石川はすでにNo.2として会社を支えていました。
意思決定の場でも日々のやり取りでも、その役割を担っていると感じる場面は多くありました。
そのため、社長に就任すると聞いても、何かが大きく変わる印象はありませんでした。

前職では、自分の方が先輩にあたる立場でした。
ただ、白潟総研ではその関係性をほとんど意識していませんでした。
それよりも「この人なら、みんなついていくだろうな」という感覚の方が強くありました。

自分が社長になるという選択肢についても、当時はあまり現実的に考えていませんでした。
正直に言えば、自分にはそこまでの自信はなかった。
それなら石川が社長になる方が自然だし、その方が会社にとってもいい。
そんな受け止め方でした。

一方で、自分自身がNo.2として何をするのかについては、はっきりとしたイメージを持てていませんでした。
「No.2をやろう」と決めていたわけでもありません。
気持ちとしては、経営チームの一人として一緒に支える、という感覚が一番近かったと思います。

2023年10月〜2024年初頭:事業部長に集中していた時期

当時から白潟総研は二事業部体制でした。
石川は、もともと主力だったHR系事業部の事業部長を担い会社の基盤を支えていました。

一方で私は、自分で立ち上げたM&A事業部の事業部長を任されていました。
正直に言えば、その時点でM&A事業はまだ事業として十分に回っている状態ではありませんでした。
数字も組織もこれから形をつくっていく段階です。

そうした状況もあり、当時の私はまずは事業部長としてやるべきことに集中していました。
事業として成り立たせること。
数字をつくること。
稼げる事業部にしていくこと。
それにがむしゃらだった。

結果として、No.2として社長の思考に踏み込み、経営全体を一緒に考えてはいなかった。
ただ当時は、必死になってM&A事業を白潟総研の第二の柱として成立させることだけを考えていました。

2024年2月:方向性が揃った、幹部合宿

幹部合宿で、石川がこれから会社をどうしていきたいのかを聞くことができました。
これまでも断片的には聞いていましたが、腰を据えて話をしたのはこのときが初めてだった気がします。

そこで語られていた白潟総研の未来は、規模を大きくすることそのものではありませんでした。
小さくても面白くて、ユニークで、きちんと社会的な価値を出せる会社にしたい。
そういう方向性でした。

話を聞きながら、その考え方が自分の感覚とかなり近いことに気づきました。
驚きというより安心に近い。
この方向なら一緒に進めそうだと素直に思えたんです。

社長とNo.2という役割以前に、同じ方向を向いて経営するチームなんだ。
その感覚をここではっきり持つことができました。

2024年5月:ゴルフカートで、関係が変わった

幹部合宿で方向性が揃った一方で、社長-No.2としての関係性としてはまだどこか距離があったと思います。

そんな中で、たまたま沖縄への出張に石川と一緒に行く機会がありました。
現地でゴルフをすることになり、カートに並んで乗りながら話す時間が取れました。

会議室ではなく、いつもと違った環境で2人並んでゆったり語る時間でした。
特別なテーマを決めていたわけではありません。
ただ移動しながら話す中で、これまであまり言葉にしてこなかったことも自然と対話できました。

社長とNo.2は、どういう関係が一番いいのか。
役割としてどうあるべきかというより、自分たちにとって無理のない距離感は何か。
そんな話を肩の力を抜いたままできたのが大きかったです。

この時間を通して、関係性が一段変わった感覚がありました。
個人的な信頼関係はもともとあった。
ただ、一緒に白潟総研を引っ張る相棒として腹を割って話せるという実感が、ここで初めて伴った気がします。

2024年9月〜現在:No.2としての役割が見え始めた期間

沖縄での時間を経て、石川との距離感は明らかに変わりました。
その変化が仕事の中ではっきりと形になり始めたのが年度経営計画合宿です。

年度経営計画合宿では、ビジョンだけでなく数字や体制の話が具体化されました。
どの事業でどれくらいの売上をつくるのか。
人をどう配置しどう育てていくのか。
会社として進む道が、計画として言葉になっていきました。

その過程で、自分の役割も少しずつはっきりしてきました。
事業部長としての視点に加えて、経営者として会社全体の数字や構造を一緒に考える場面が増えました。
石川が考えていることに対して、こうした方がいいのではないかと意見を出すことも以前より自然になったと思います。

年が明けてからは、定期的に話す時間も設けました。
会社の状況や気になっていることを整理しながら次に打つ手を考えていきました。
No.2として、社長の思考を受け取り前に進める役割が少しずつ立ち上がってきたのがこの時期です。

この2年間を振り返って

振り返ってみると、最初からずっと信頼関係があった二人でした。

石川を支える立場になることに、違和感もありませんでした。

ただ、社長の右腕として機能する関係は、役割が決まっただけでは生まれませんでした。


同じ方向を向いていると確信し、2人での会話の質と量を確保してから

少しずつ形になっていったものだと思います。


会社のフェーズが変われば、No.2に求められる役割も変わると思っています。

私個人で言えば、この2年間はその変化に向き合い続けた時間でした。

白潟体制から、石川体制へ。新しい経営チームの会社へ。

これからもその時の白潟総研に必要なNo.2像に向き合っていきたいと思います。



最後まで記事を読んでいただき、ありがとうございました。

この度、事業承継について前社長白潟と新社長石川がお話させていただくセミナーを開催します。
直接、当事者同士で幹部育成についてお話しできる機会なのでぜひご参加ください。



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