白潟総研 承継ストーリー 《承継直後の2年間》|経営幹部サイド

こんにちは!白潟総研のコンサルタント、小林です!

会社の大きな転換期となった、カリスマ創業者・白潟 から 2代目・石川 への社長交代。
白潟総研ではこれまで、「新代表・石川サイド」「No.2・畦田サイド」と、それぞれの「承継直後の2年間」について、リアルな葛藤や軌跡をお届けしてきました。


▼「まだ読んでない!」という方はぜひこちらから!

新代表・石川サイドの承継ストーリー
(孤独な内省と、幹部・社員との関係をつなぎ直した怒涛の期間)
No.2・畦田サイドの承継ストーリー
(事業部長から「真のNo.2」へ、石川との関係性が変わった2年間)



そして、大反響の承継ストーリー第三弾となる今回は、「経営幹部から見た承継」に迫ります!

登場するのは、白潟総研を支える経営幹部3名。
(※それぞれのパーソナリティがわかる自己紹介ブログはこちら:[吉田] / [井上] / [武井]

社長交代による突然の“無重力状態”。石川が必死に幹部と向き合おうとしていたあの時、3名は石川への承継をどう受け止め、どうやって新しい経営チームをつくってきたのか?

最初から満場一致の賛成…というわけにはいかなかった、泥臭くもリアルな2年間を赤裸々に振り返ります!



▼当時の組織図

目次

2023年9月末~10月:社長の決定と承継スタート

「社長を哲也さんに任せたい」(※石川は社内では“哲也さん”と呼ばれています)
白潟が幹部の前でそう伝えたのは、2023年9月末の幹部合宿でした。

実は、その場で「哲也さんが社長になるのは反対だ」と口にした幹部がいました。
最初から満場一致だったわけではなかったのです。
 

Q.はじめて“哲也さんが社長をやる”と聞いたとき、どう感じましたか?


武井:
哲也さんが社長になるんだろうなという感覚は、創業当時からずっとあったので、違和感は全くなかったです。まぁ、そうだよなと思っていました。

井上:
「社長になるのは哲也さん以外ありえない」と思っていました。
コンサル力、経営への理解の深さ、視野の広さ。どれをとっても圧倒的だったし、何より白潟さんの想いを強く受け継いでいると感じていました。

吉田:
私は、創業メンバーの誰かだろうなと思いつつ、哲也さんが社長になることには唯一反対をしていました。
私から見えていた哲也さんは、白潟さんと比べると、きっちりと正確に物事を管理するのは苦手なタイプ。

ずっと白潟さんとやってきた私は、「社長たるもの守りが強くなくてはいけない」という理想像があったのかもしれません。

井上:
私は育休中のためオンライン参加でしたが、議論を聞きながら、むしろ「これで哲也さんにならなかったらどうしよう」と、不安になったくらいです。
哲也さんの苦手なところは、補完できないものではない。誰かがやればいい。
吉田さんの不安は理解できたけれど、それは「社長をやらない理由」にはならないと思っていました。


議論を重ねる中で、石川以外を代表にする案や、二代表制にする案も出ました。
それでも、最終的には石川が代表に就任することに。

幹部を含めた経営チーム全員が納得してスタートしました。

 
 

Q.実際に2023年10月から走り出して、どうでしたか?


吉田:
最初は反対をしましたが、ちゃんと自分も納得して決めたことです。
決まった以上は全力で推進するしかない。
とはいえ、「本当に大丈夫かな」という不安は正直ありました。
当時は管理本部長という立場だったからこそ、会社の守りは自分がやらなくちゃいけないという感覚があったのです。

井上:
まずは、「哲也さんになってよかった」と安心しました。笑
でも、同時にプレッシャーも感じていたのが正直なところです。
当時は吉田さんが管理本部、武井さんがM&A事業部。
育休中でしたが、復帰したら自分が人・組織の事業部長を取りに行かなくちゃいけない、と自然に思っていました。

武井:
白潟さんは、100も100以上も持ててしまう経営者です。
今まで白潟さんが持っていた100やそれ以上を、そのまま哲也さんに持たせるのではなく、みんなで分け合って持っていくんだなと自然に感じていました。

2024年2月:幹部合宿

2024年2月。
石川・畦田・吉田・武井の4人で幹部合宿が行われました。
(井上は育休中のため不参加)

率直に話し合ったことで、見えてきたものがありました。


 

Q.幹部のみなさんにとって、どんな合宿でしたか?


武井:
「本当に、白潟さんがいないんだな」と実感したのが一番大きかったです。
わかってはいたけれど、あらためて。
今まで幹部合宿には必ず白潟さんがいたけれど、もういない。
本当に、これからは自分たちでやっていかなくちゃいけないなと感じた合宿でした。

吉田:
合宿の中で、将来やりたいことや、どうでもいい雑談もたくさんしました。
そんな中で見えてきた共通点が、「ここにいる全員、どデカいことしよう、ってないね」ということ。
社会のため、世の中のために大きなことをするより、自分と周りを幸せにできればいいよね、と!
そこから見えてきたのが、「33人 7.5億」という、今の白潟総研が目標にする組織像です。

武井:
「船」の話が初めて出てきたのもこのときですね!
白潟さんが100持っていたものを、割合に差はあれど、みんなで船員として持つ。
哲也さんが舵をきる船にそれぞれの役割を持った幹部が乗り込んでいるイメージです。
もしかしたら、この合宿がいかりを上げる瞬間だったのかもしれません。

吉田:
たしかに。チームでやっていくと覚悟ができたのは、このタイミングでした。何か一つの機能を自分が持つのではなくて、いろんな役割を持ってみんなで頑張るんだというマインドセットができたと思います。

井上:
合宿の内容は育休中に共有してもらったのですが…
あらためて、復帰後、自分は事業部長として支えていく役割を持たなくちゃいけない、と感じていました。
育休中でありながら、できるだけ事業部の会議にも参加するようになったんです。

吉田:
合宿中に「哲也さんと畦田さんはもっと話した方がいいのでは」という話も出ましたね。
その後、実際に二人は話す時間を増やし、幹部も巻き込んでくれている感覚がありました。
「なんか、うまくいってそうだな」と思う瞬間が増えたように思います。

武井:
「大丈夫かな?」と思っていたのが、「大丈夫そうだな」に変わった時期だったかもしれませんね!

2024年10月~現在:変化

Q.石川を代表にした新体制の船が本格的に歩み始めてから、変化はあったのでしょうか。


吉田:
「色が変わったな」とは感じました。
白潟さんは昭和気質で、死ぬほど働く鉄人。
鉄人が鉄人を作るスタイルが白潟イズムでした。

でも、哲也さんはそうではない。
新しいライフスタイルを受け入れながら、本気で経営をやっていく。
根本は変わっていないですが、色が変わってアップデートされたと思っています。

私は昭和側の人間なので、適応していかなくちゃなと思いました 笑

井上:
私は、実はそこまで大きな変化は感じていません。
哲也さんは「幹部と結び直さなくちゃいけない」とブログでも書いていましたが、私は「必要だったのかな?」と思っていたくらいです。
ずっと哲也さんの右腕的な立場で働いてきたからこそ、当然「哲也さんと一緒に働きたい」という想いも大きくありました!

武井:
創業メンバーとして、白潟さんと働きたい気持ちはもちろんありました。
でも、私も同じくらい、哲也さんと一緒に働くことへの想いもあったと思います。

井上:
白潟総研のNo.2は畦田さんですが、私は哲也さんの心のNo.2?のような存在でいられたらな、と。
一番長くそばにいたからこそ、一番の理解者でありたいと思っています。


白潟総研の承継は、誰か一人の決断ではありませんでした。
経営チーム一人ひとりに、反対や不安、覚悟があったのです。

白潟が100を担ってきた会社から、幹部みんなで100を持つ会社へ。
その変化を、それぞれの立場で受け止めながら進んできた2年間だったのかもしれません。



***
いかがでしたでしょうか?
幹部3名の目線から、この2年間を振り返っていただきました。


来月は、「メンバー編」

白潟代表時代に入社した新卒はどう感じていたのか、
ちょうど狭間で入社した中途は何を見ていたのか。

また別の視点から、この2年間をお届けします!
来月もお楽しみに!

他サイドから見た承継ストーリーはこちら

新代表・石川サイドの承継ストーリー
No.2 畦田サイドの承継ストーリー