【娘婿が継いだ創業76年企業】先代との軋轢を越えた事業承継【池田金属工業/武井宏樹社長/前編】

動画でわかること

  • 直系ではなく"娘婿"として3代目を継いだ事業承継のリアル
  • 承継時期も学ぶ機会も見えない中での、先代との衝突とその乗り越え方
  • 経営を体系的に学ぶためにMBAへ──入社後に決めた学び直しの決断
  • 7年続けるコーチングが、先代・社員との関わり方をどう変えたか
  • 「規律の中の自由」で100名超の組織をまとめる対話の工夫

1分で読める要約

創業76年、ねじ・締結部品の企画・販売・コンサルティングを手がける池田金属工業株式会社。3代目社長の武井宏樹さんは、直系ではなく"娘婿"としてこの会社を継ぎました。結婚を機に2014年入社したものの、承継の時期もプロセスも示されないまま、2018年に突然取締役、2021年には決算発表の壇上で先代が「来期から社長交代」と告げるという、予告のない承継でした。

婿という立場ゆえに、先代の背中を幼少期から見て育ったわけではなく、経営を体系的に学ぶ機会もなかった武井さん。「これはもう自分で学ぶしかない」と働きながら通える大学院(MBA)に進学し、優秀な同期に囲まれて衝撃を受けながらも、"素直に人に頼る"姿勢を学んだといいます。

動画では、先代との度重なる衝突(時には1週間の家出も)や、7年間続けているビジネスコーチングが自身と先代との関わり方をどう変えたか、そして「規律の中の自由」で100名超の組織をまとめる対話の工夫についても語られています。

気になるところから動画で見る

00:00 ダイジェスト
00:29 本編開始
01:47 池田金属工業の概要
02:28 入社・承継の経緯
06:18 婿としての苦労と学び
10:30 承継後の苦労
13:08 先代との関わり方の工夫
14:39 承継に向けた取り組み
18:03 既存社員とのコミュニケーション
20:30 会社のビジョン・経営計画
24:59 多数の社員とのコミュニケーション
27:51 次回予告
28:13 エンドカード

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文字起こし(音声認識)を読みやすく整形したものです。実際の発言と細部が異なる場合があります。

本編開始

畦田:皆さん、こんにちは。白潟総合研究所の畦田です。白潟総研チャンネルでは、中小企業の社長のために使える経営ノウハウや、面白い経営をされている、皆様の参考になるような経営をされている経営者の方にインタビューをして発信しております。池田金属工業様は1950年設立で、現在76期目を迎えている長く良い企業です。武井社長は3代目として今この会社の経営をされているのですが、少し変わったお立場、娘婿という立場で会社を承継し、経営をすごく良くしてさらに伸ばされています。今回はその事業承継のところにフォーカスを当てたり、外部リソースを使った今の面白い取り組みについても深掘りしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

武井:お願いいたします。

畦田:まず、池田金属工業様がどんな会社なのか、少しご紹介いただけますか?

池田金属工業の概要

武井:弊社は1950年に設立して、私が今3代目の社長をやっています。ネジなど締結部品の設計・技術検証や販売をさせてもらっている会社です。

畦田:元々、武井社長はこの会社に入るきっかけや、そもそも入る予定だったのかというあたりの経緯をお伺いできますか?

入社・承継の経緯

武井:私は直系親族ではなくて、娘婿なんですね。大学時代に妻とは知り合っていて、付き合うようになってから「実家が会社をやっている、後継者がいない、いつかもしかしたら」ということを言われながら過ごしていました。2006年に私は新卒で全然関係ない住宅メーカーに入って、2010年に結婚をして、2014年に転職するというかたちで、30歳の時に入社しました。

畦田:それは結婚したタイミングで入社するという前提で動かれていたんですか?

武井:もっと手前で、私と妻の中ではいつか来るだろうなとは思っていました。2009年にプロポーズをして実家に挨拶に行った時、先代に「結婚させてください」と言うと「結婚の条件ではないが」と、また濁しながらという感じでした。継ぐも継がないも自分にできるのかわからなかったんです。経営もさることながら、ネジを触ったこともないし興味もないという不安があったので、覚悟を固めていくということを、サラリーマンをしながらやっていきました。いつか継ぐかもしれない時に能力や経験が全くないと怖かったので、前職の住宅メーカーでもリクルーターや面接官を自分から名乗り出て、人前で喋る訓練や人を見る目を養う訓練を勝手に"修行"としてやっていましたし、店の責任者もどうしてもやりたいとマネージャーに噛みついてやらせてもらっていました。

畦田:2014年に入られて、そこからどういう流れで社長までいかれたんですか?

武井:最初は半年間くらい現場作業を通して、その後は仕入れ調達部門で海外にも出張しながら会社全体を見ていきました。2018年に取締役になったんですが、その時は営業部長をやっていて、唐突に先代から「来月から役員な」と言われました。シナリオもいつどう継いでいくかも全く示されていなかったので、わからない状態でしたね。社長就任は2021年の2月なんですが、それも突然でした。毎年、弊社は11月決算のその発表の場で来期の経営計画を話すのですが、その壇上で先代が何の予告もなく「来期で社長は交代します」と言い出したんです。来賓で金融機関の方も来られている中、「誰?息子は誰?」となっている状態で、私はすぐ金融機関さんを見て「私ですよ」ということをやっていました。1〜2年くらい前からいつ来てもいいようにしておこうとは思っていましたが、まさかこのタイミングでとは思いましたね。

畦田:婿としてのご苦労もあられたかと思いますし、経営そのものをどう学ぶかというところも気になっている方が多いと思うのですが、いかがでしたか?

婿としての苦労と学び

武井:本当に苦労しましたし、今でも当然しています。婿ならではでいうと、創業者である祖父や先代である父の姿を幼少期から見てきていないので、社長業がどんなものかわからないまま転職しているという状態でした。経営の体系的な学びというのも、前職のサラリーマン時代にはそこまでできていなかったし、中小企業には体系的に学べる仕組みが中々ないので、どうしようと思っていました。きっかけは、当時先代が契約していたコンサルの方との会議で、いろいろな横文字を使われて「全然わからない」と言っても「何でおかしいと思っているの、この理論は知らないの」とやり込められる感じがあり、感覚的におかしいけれど説得力に欠けると感じたことでした。入社して1〜2年目で悶々として、「これはもう勉強するしかない」と妻に言って大学院に行くことを決めました。働きながら通える大学院は多くなく、1校見つけて2016年に受験、2017年に入学しました。入試では英語の論文を書く問題があり、TOEIC750点未満だと一次試験があって、辞書を使いながら何とか解いたのですが、周りは辞書を使わずガリガリ書いていて衝撃を受けました。日本語の小論文になるとさらに人数が増え、大企業や中小企業を対象にコンサルしている優秀な同年代についていけないと衝撃を受けました。グループワークで「承継者だし」とリーダー役を任されても全然仕切れないのですが、一生懸命やっているとみんなが助けてくれて成り立つケースが多く、優秀な同期から「リーダーはポンコツでもいい、優秀な人がたくさんいるから」と言われ、素直に人に頼るということをそこで学びました。

畦田:そこから経営のバトンタッチをしていくタイミングだと思うのですが、任せるというところでも、いろいろ思い違いがあったとお伺いしましたが。

承継後の苦労

武井:元々、畦田さんとは友人関係だったので、いろいろな相談に乗ってもらっていました。「これはおかしいんじゃないですか」とはっきり言うタイプなので、先代と何度も衝突しました。承継がいつ行われるかわからない、準備も学びもできていないという不満を言っていて「いつ継ぐんですか、計画を立てないと不安です」と言うと「そんなのはお前に言われることじゃない」と返されたりしながら過ごしていました。大きな衝突の1つが、当時二世帯住居で先代の家に6年間同居していた時期のことです。会社のWebサイトが古いのでリニューアルしたいと上申し、先代から「お前に任せるわ」と言われたので、友人のWeb制作会社に相談してコンテンツを作ってもらい、契約前の段階で「いよいよできました、プレゼンしたいです」と話したら、「あれな、コンペにするわ」と言われたんです。「任せると言われましたよね」と言い合いになり、「任せるの意味が違う、わしが決めるんじゃ」「やっていられませんよ」となって、そのまま会議室を飛び出し、1週間家出をするということがありました。

畦田:親子でも経営について言いづらかったり、娘婿になると義理のお父様となって余計言いづらかったりすると思うのですが、その辺はどういう工夫をされたんですか?

先代との関わり方の工夫

武井:工夫というか、僕がどうしても気性が荒いというのが少しあるのかもしれません。前職の住宅営業がすごく好きで良い会社にしたいと思っていた分、転職するとなった時にそのやりがい以上のことを自分で作っていくぞという覚悟や気負いを勝手に持ってきていたので、良い会社にするためなら遠慮するところではないと思っていました。こういう衝突をし始めてから、先代のことを「お父さん」と呼ばなくなりましたね。あくまでもビジネスの上司として、身内の遠慮は全くしないということになりました。ただ、今振り返ると青かったですね。任せるといっても、こまめに報連相していたかというとしていなかったので、最終局面で決裁だけ求めるというアプローチはミスだったなと反省しています。マインドは良かったけれど、アプローチをミスしたなと今も反省しています。

畦田:そうした関係性を構築していく中で、コーチングも取り入れられたのかなという印象があるのですが、承継に向けてはどうされたんですか?

承継に向けた取り組み

武井:コーチングというものに出会った時に、今の自分に足りていないのは、冷静に客観的に見る、相手を承認するという、コーチングの土台の部分だと気づきました。とある講習で出会ったビジネスコーチに「僕のコーチについてくれませんか」と相談して、2019年から今も続けていて、月1回くらい約1時間のセッションを7年間続けています。前半はほとんど相談役で、当時の社長との関係や事業承継をどうしたらいいか、自分が不器用で上手く表現できず、真剣がゆえに厳しく言ってしまうといった話をしていました。コーチは答えを出さないので「武井さんはどうしたいんですか」といろいろ質問を重ねてくれて、そもそも先代と目指すところは一緒だから、それをまず伝えませんかという話になりました。コーチからは「自分の息子が同じように、親父は間違っているよと言われたらどう思いますか」と聞かれ、「すごく腹が立ちますね」「今のご自身はどうですか」「やっていますね」となり、先代を"クライアント"だと思うとやり方が変わってくるなと気づいて、アプローチを変えてからすごくスムーズにいくようになりました。私自身もコーチをつけて非常に良かったと思っていますし、幹部メンバーにもコーチングスクールを受講してもらったり、ビジネスコーチをつけてもらったりしています。僕自身もついてくれているコーチが理事をやっているスクールに通って、約1年半コーチングを学びました。承継者はどうやらなければならないかを考え続けなければいけないですし、会社の器は社長の器と言われるくらいなので、高め続けることが大事だと思っています。

畦田:武井社長が就任される前から入っている社員さんも多くおられると思いますが、社員さんの巻き込み方、コミュニケーションの取り方は何かされたことがありますか?

既存社員とのコミュニケーション

武井:先代との関係もそうですが、特に古参のメンバー、既存の人たちとの関係でいうと、歴史を大切にするということをやってきました。創業者には僕も会ったことがないんです。妻が中学2年生の時に亡くなっていて、どんな人だったのか会話したくてもできないので、節目ごとにお墓参りに行って語りかけるということをやったり、そのことを先代にも古参メンバーにも伝えていました。創業者の想いを大切にしたい、受け継いでいきたいということを伝えることで、変革を起こすだけでなく古くからあるものも守ってくれるんだなと多少は思っていただけたんじゃないかなと思います。

畦田:何のためにという、ビジョンや経営計画のあたりは武井社長のほうで考えられたんですか?

会社のビジョン・経営計画

武井:先代が継ぐ時の条件として、社長が1人で考え抜いたものを経営計画として出して実行してもらうんだ、とにかく1人でやりなさいということを言われていたので、2020年に壇上で言われた時から、毎日「これからこんな会社にしたい」と考えて、まず1人で出しました。使命や大きいところは変わらないんですが、そこに行くまでの道やターゲットの在り方を変えるといったことは、論理的・科学的に考えてやっていく中で、また衝突が起こりました。僕のスタンスとしては、固まった軸を中心にみんなで議論をして良いところをとってやりたいというものだったのですが、先代は「社長が絶対トップだ」という考えで、幹部・役員を入れての経営合宿でも、外部講師を入れてどんな会社にしていくかのワークをする冒頭1時間くらい、先代(当時会長)に「社長が1人で決めるんだ、お前はどうしたいんや」と激しく言われる場面が何度もありました。それでも徐々にみんなで議論するスタイルに移行していきました。社内政治がなかったのは恵まれていたと思っていて、カラッと言い合えたのは非常に良かったです。社員に対しても、大きい方向性からズレていたら「違う」と言わないといけないので、「先代の時は好きにやらせてくれたのにうるさいな」という声も出ましたが、いつも「規律の中の自由ですよ」と伝え続けています。サッカーに例えて、ポジションが決まっている中で自由に動いてもらう、という話を理解されたりされなかったりしつつ言い続けて、今はだいぶ伝わってきたと感じています。

畦田:社員が今は100名くらいですか?

武井:パートの方を入れると110名くらいですね。

畦田:その規模でのコミュニケーションの仕方はどうされたんですか?

多数の社員とのコミュニケーション

武井:これも紆余曲折ありました。最初は入社1年目で採用をやっていたので、自分が採用した人たちと意思疎通が図れていましたが、社長になったら時間を取りきれないこともあり、規律ある組織にしたいと人事制度を作って、幹部・部長と階層を作っていきました。一昨年・去年くらいにそれをやっていたら、今度は今までコミュニケーションを取れていたメンバークラスから「社長は何を考えているかわからない」という声が出てきました。社長になったらもっと未来の重要だけれど緊急じゃないことをやらないと思って、今の課題は任せて先のことばかりをやっていたら「私たちのことを見てくれていない」となってしまったので、やりすぎたなと。500人規模ならまだしも、そんなに大した規模でもないので、2026年から今まで部長・幹部だけに伝えていた判断基準や思考のプロセス、弱みや悩んでいることも正直に出すようにしました。あとは雑談ですね。去年は新規事業などに時間を埋めすぎて余白が全くなかったので、あえて余白を取って雑談したり気になった点を話しに行ったりするようにしたら、「理解できました」「こうやったらもっと上手くいきそうですね」と、1を言ったら2〜5と動いてくれるメンバーが増えました。社長だから全部階層で降ろさないと、と思いすぎたのは反省ですね。

次回予告

武井:後編では、今すごく上手く活用されている外部のリソースについて、ぜひ中小企業の経営者の方にも聞いてもらいたいと思っています。(続きは後編で)

後編はこちら

【優秀な人材は"採る"より"巻き込む"】外部人材で挑む中小企業の組織変革【池田金属工業/武井宏樹社長/後編】

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