【なぜ、社員が定着しないのか?】新入社員の約半数が辞めた会社で、社長が変えた社員との向き合い方【ノアインドアステージ/大西雅之代表/前編】

動画でわかること

  • 社員の誕生日に手紙を書こうとして気づいた「関心」の欠如
  • 集団退職した首謀者に、社長が自ら謝りに行った理由
  • 「辞める人が悪い」から「相手は鏡」へ変わった在り方
  • ノアフィロソフィ100項目と早朝勉強会による理念浸透
  • 年52回の日曜のうち3分の2を現場との食事に充てる習慣

1分で読める要約

インドアテニススクールを全国35カ所で運営するノアインドアステージも、かつては毎年のように新入社員が辞めていく組織でした。テニスブームで店舗は増えても、コートの外では人間関係がうまくいかず、辞める理由の本音は辞めた後にしか聞けなかったそうです。

転機は、研修で聞いた「社員の誕生日に手紙を書く」という取り組みでした。始めてみると、手紙を書けない社員がいる。大西代表はそこで、自分が社員に関心を持っていなかったことに気づきます。集団で辞めた社員の首謀者に自ら謝りに行き、「相手は鏡だ」と学んだ経験も語られています。

その後、ノアイズム8項目とノアフィロソフィ100項目をつくり、月10回ほどの早朝勉強会や、年52回の日曜のうち3分の2を現場との食事会に充てる習慣で、理念を浸透させてきました。「人が強み」と言える会社がどう育っていくのかが、具体的にわかるインタビューです。

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00:00 ダイジェスト
00:28 本編開始
01:08 ノアインドアステージ株式会社の概要
06:14 テニススクール業界の変化
08:34 成長のきっかけ
16:26 社長の変化に伴う会社の変化
21:00 ノアインドアステージの理念経営
26:01 組織拡大の経緯
27:35 次回予告
27:54 エンドカード

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文字起こし(音声認識)を読みやすく整形したものです。実際の発言と細部が異なる場合があります。

本編開始

石川:皆さんこんにちは。白潟総合研究所の石川です。白潟総研チャンネルでは、中小企業の経営をされている皆さんのために、実際に現場で使える経営ノウハウを、社長に直接お話を伺い、一次情報としてお届けしています。今日は、ノアインドアステージ株式会社の大西社長にお越しいただきました。テニスに触れたことがある方なら、知らない人はいないくらいの業界最大手。これを大西社長一代で築き上げられました。社長、今日はよろしくお願いします。

大西:よろしくお願いします。

ノアインドアステージ株式会社の概要

石川:早速ですが、ノアインドアステージさんをご存じない方もいらっしゃると思いますので、簡単に会社の概要を教えていただけますか?

大西:ノアインドアステージは、今から46年前に創業しました。今はテニススクールとして、約4万4,000人のお客様に通っていただいています。従業員は約1,000人ほどの規模で、全国にインドアのテニス場が35カ所あります。そうしたテニス場を運営させていただいています。

石川:関西発なんですよね。

大西:そうですね。兵庫県からずっと広がって、大阪、京都、そして関東へと広げてきました。

石川:46年前というと、テニススクールという市場ができ始めたくらいでしょうか。

大西:当時は、テニススクールというよりは会員制のテニスクラブが、土地活用として全国にたくさんできたような時代でしたね。東京では、デパートの屋上や駅の近くでテニススクールが流行っていたとは聞いていました。

石川:立ち上がり方がちょっと独特ですよね。いわゆる創業・起業された形ではないんですよね。

大西:そうですね。私は実は4代目で、本社は兵庫県の姫路です。姫路はマッチ産業が盛んな町で、そこで創業しました。マッチの会社は今も2社残っていて、その1社です。その会社に工場の跡地が出まして、そこに父親がテニスコートを作り、それを私が運営させてもらったところからのスタートです。父親も私もテニスの経験はなく、最初は外部のテニススクールに委託していました。私が大学でテニスを覚えて帰ってきてから、テニス事業を引き継ぐ形でやらせていただき、現在に至っています。

石川:3代続いてきた姫路の製造業の会社の中で、新規事業としてテニススクールが生まれ、その立ち上げ責任者として入られた。親会社とは今は別になっているんですか?

大西:当時は子会社として、本業ではなく副業的な事業でした。でもだんだん「これは面白い」と思うようになって、本業は父親に任せて、私はこちらに懸けるというか、楽しくて仕方なかったんです。当時はインドアのテニススクールはあまりなくて、冬は寒いし雨もある、夏は暑い。お客さんがスキーに行ったりして、季節的な変動が非常に大きかったんですね。2年ほどやったんですが、これでは厳しいと。27歳ぐらいのときに、屋根をつけたらどうかと社長に提案したら「いいよ」と言ってくれて、インドアのテニス場ができました。アウトドアのままだったら、今はなかったと思います。今から36年ぐらい前ですが、当時1億円の投資です。インドアの建設を決断してくれた父は、なかなかできない決断をしたと思います。そこが一つの大きな分岐点でした。

石川:既存事業が強いときに新規事業を立ち上げ、それがそのまま今のメイン事業として大きな収益を生んでいる。珍しい形ですし、すごくいいですよね。

大西:親会社がしっかりしていたので、そういうことをやらせてもらえた。今でも本当に感謝しています。正直に言うと、後から父親に聞いたら、私は27歳で何もわかっていなかったし、父も経験がないので、本当に1億円の投資がものになるかはわからない。でも息子が言うんだからと。「1億円をドブに捨てるぐらいの感覚でやった」と聞きました。

石川:アウトドアのときはずっと赤字だったんですよね。

大西:全然赤字でした。

石川:赤字を掘り続けながらも新規事業をやり続けられる、既存事業の体力。3代、4代と続いている後継ぎの方もいらっしゃると思いますが、体力があるうちに新規事業の種をまいておく、息子さんがやりたいと言ったら思い切ってやらせてみる、というのは一つのヒントかもしれません。

大西:よく「マッチからなぜテニスなんですか?」と聞かれるんですが、単に工場の跡地ができて、その土地活用でテニスクラブを始めたので、結びつきを説明するのは難しいんですよね。

テニススクール業界の変化

石川:そこから30年かけて、全国で4万4,000人がテニスをする、インドアテニスといえばノア、という状態をつくり上げてこられた。事前に伺ったところでは、当時のテニススクールはコーチがすごく怖かったと。それを大きく転換されたのも社長だと聞いています。

大西:スポーツなので、今も若干ありますが、当時は体育会系というか、「俺の言う通りやっとけ」という恐怖政治的なやり方が普通でした。弱い人間はすぐ辞めて、くぐり抜けた人だけが残って働いてくれていました。最初にテニスを教わった師匠のような方から「テニススクールはサービス業だ」と教わったんです。テニスが上手な人ほど、どうしても「教えてあげる」という上から目線の指導者が当時は多かった。でも我々は教えさせていただいている、指導業ではなくサービス業だと最初にパチッと教えていただいた。テニススクールをサービス業として捉えてスタートできたのは良かったと思います。

石川:インドアで心地よくできて、上から教えるのではなく、楽しみながら上達できるようにする。

大西:特に初心者・初級の方は、最初からうまくできるわけではありません。そこにうまく面白さや楽しさを入れていったのが正解だったと思います。だから口コミで友達をたくさん呼んできてくれる。真面目に「こうですよ、ああですよ」とやりすぎると、シーンと暗くなるんですよね。きちんと見ないといけない部分もありますが、そこをうまくバランスを取りながらやれるコーチが増えていきました。当然、運動しに来ているので、ある程度の運動量も出しながら。うまくしてなんぼ、ばかりを追い求めると、お客さんもしんどくなる。楽しく盛り上げるというところは、最初から徹底してできていたのかなと思います。

成長のきっかけ

石川:インドア、そしてサービス業としてのテニスで、そのまま自然に伸びていったのか、何かきっかけがあったのか、すごく興味があります。

大西:時代も良かったので、新しく店を出せば大体うまくいったんですよね。『テニスの王子様』の影響もありましたし、テニス以外のスポーツもそんなになかった。場所さえ間違えなければうまくいった。ただ、人が辞めていったんです。時代が良かったので人は集まってきたんですが、勢い余って出店を続けていくうちに、6店舗ぐらいのときまで人が辞め続けて、気づいたら毎年のように新入社員が辞めている。そんな時代もありました。

石川:市場が良くてお客さんは集まるけれど、実際にサービスを提供している社内のコーチは、くるくる入れ替わってしまっていた。

大西:そうなんです。仕事は好き、お客様に楽しんでもらうテニスを教えるのは楽しい。コートの中では生き生きしているんですが、バックヤードになると「職場は嫌い、上司は嫌い」というところが多かった。当時の私は悪い意味で王様で、人間関係や派閥など、現場で起きていることを全然把握できていませんでした。退職の理由も「他にやりたいことができたので」と、本当の理由は言ってくれない。面接で「すごくいいな」と思って採用した人が辞めるので、なぜかと聞いても「辞めてからでないと言えない」と。辞めてから本音を聞くと、大体は社内の上司の問題か、同僚との人間関係か、いじめや派閥。要は居心地が良くなかったんだと見えてきて、えっと思ったんですね。従業員満足度が低いと気づいたのが、20年ぐらい前です。

大西:そこから何をやったかというと、まず従業員満足度の高い会社をベンチマークしました。映像やDVDを買ったり、勉強会に行ったり、その会社を見に行ったり。そうしたら口がポカーンと開いて、「こんなすごい会社があるのか」と感動して、明日から何をしていいかわからなくなったんです。研修で感動して帰る人は多いじゃないですか。いきなりレベルの高い会社を見たので、どこから手をつけていいのかわからない。そのときは悩みました。

石川:インドアテニス、そしてサービスとしてのテニススクールというビジネスモデルが市場にはまり、ぐっと伸びた10年間。でも人が辞めていくという組織の壁にぶつかった。

大西:そんな中、当時の九州の美容室の研修だったと思うんですが、そこの社長さんが従業員の誕生日に手紙を書いていたんです。今思うと、それは従業員へのあり方の部分だったと思います。それを聞いて「よし、俺もやろう」と。4月の研修会で聞いて、5月1日からリストを作って書こうとしたら、書けない人間が出てくるんです。これはどういうことだと。本人に興味がなかったんです。採用の面接はしたけれど、本人の働きぶりや頑張りをまったくわかっていなかった。

大西:これはいかんと思って、現場に行って本人と話をするようになりました。たとえば新しい事業所のオープンのときは1週間ぐらい泊まり込んで、現場の人と飯を食ったり手伝ったりしながらコミュニケーションを取り、どう頑張っているか、どう考えているかを聞く。自分が現場目線になって、現場の人の話を聞くように少しずつなっていきました。そのきっかけが、誕生日に手紙を書くという行動から、従業員のことが気になり出したことです。年に1回書くたびに、彼はどう頑張っているか、彼女はどうかと思い出す。関心を持ち出すと、声をかけたりするようになりますよね。

大西:それまでは成果主義的で、1店舗、2店舗のころは私も現場に立っていたので「ここまで行ったら旅行行くぞ」とやっていました。でも店舗が増えると目が行き届かなくなって、任せるのはいいけれど「任せる=ほったらかし」になり、数字ばかり見るようになっていたんです。

石川:誕生日に手紙を書くというやり方を教わって、やってみたら書けない。そこから自分のあり方が変わっていった。これはめちゃめちゃ面白いと思っていて。離職率が高い、組織が崩壊しそうだというご相談を受けるとき、社長さんは課題の矢印を管理職や環境、採用に向けがちです。それを自分に向けていかれたんですね。

大西:当時は、辞めていく人は「あいつが悪い、あいつが怖いから」と、辞める人が悪いと思っていました。集団で辞めるような事件もあったんですが、そのときは本当にその人間たちが悪いと思って恨んでいましたね。そのときに教えてもらったのが「恨んだら恨み返される」ということ。僕が一つ成長したのは、集団で辞めた首謀者のところに謝りに行ったことです。そうしたら「いや、社長は悪くないんですよ」と。当時は派閥ができていて、ちょっと変な事情があって、それが一番の原因だったと言われました。でも謝ることで仲直りができましたし、辞めた人間たちもテニスの業界で頑張っていました。そのときに覚えたのは「相手は鏡」だということ。こちらが恨んでいたら、相手も恨んでいたみたいです。あそこで僕も少し器が大きくなりました。

大西:うちは辞めた人間を本当に戻しますからね。辞めたのも会社が悪いことが多いんです。残ってほしかったのに辞めた人間には「帰ってきたら」と声をかけて、何人か出戻りもいます。もったいないなと思うやつには「2〜3年外で修行してこい」と言ったりね。外でも勉強できるじゃないですか。

石川:めちゃめちゃ刺さります。辞めてしまった社員に自分から謝りに行って、「自分が悪かった」と言える経営者はすごく少ないと思います。僕も全然できていなくて。まさに、あり方の経営ですね。

大西:やっとその辺がわかってきたというか。いつの間にか63歳になってしまいましたけどね。

社長の変化に伴う会社の変化

石川:そこから社長自身のあり方が変わったことがきっかけで、会社がまた大きく成長していったんですか?

大西:ガラッと変わったというより、従業員も増えていきますし、私の考えがすべてに浸透しているわけではなかったので、ちょこちょこ退職もありました。減ったことは減ったんですが、いきなりガラッと変わるわけではない。私が変わり始めたので、徐々に会社も変わり始めた。漫画の影響でブームがあって、それがなくなるとやっぱり落ちるじゃないですか。その時期に会社が変わり始めていたのでちょうど良かったというか。あのまま悪い状態だったら、今のような状態にはなっていないと思います。

大西:我々はピープルビジネスです。リーダーがトップの考えをしっかり理解して、そのリーダーが現場を大事にする、人を大事にする。そして彼らが成長できるようにする。この支配人の育成が肝でした。いい支配人をどれだけたくさん生むか。そう簡単にはできませんでしたが、徐々に増えていったので今があるのかなと思います。外部の会社もうまく活用しながら、利益が上がっている間にその利益を人材育成につぎ込む。それは常にやっていましたね。

石川:市場がいいときは、組織がうまくできていなくても伸びていく。でも悪いときは組織力がないと伸びられない。日本は人口縮小社会に入り、ほとんどの業界が縮んでいく中で、組織の力をしっかりつけていかないと、この先伸ばせる会社は減っていくと思います。社長がおっしゃったように、まず自分から変えていく。よく「いきなり理念をつくりたい」というご相談を受けるんですが、うまくいく会社は、理念づくりや支配人・リーダーの育成の前に、社長が変わる期間がやっぱりあるんですよね。

大西:まず従業員ファースト。従業員が生き生き働いたら、ビジネスモデルさえ間違っていなければ、結果は必ず出る。我々は特に売るものが目に見えないので、従業員=商品なんです。従業員が生き生きしているか、しんどそうに働いているかで、お客さんに元気を与えられるかどうかが大きく変わる。お客さんは「あなたたち仲いいね」とすぐわかるんですよね。すれ違うときの態度とか。コーチ同士の仲が悪いと、嫉妬し合ったりすることもあるみたいです。仲が良いと「いろんなコーチのところに行ってください」となりますからね。どのコーチも同じようなサービスを心がけてくれている。そこは本当にいつも大事にしてきました。

大西:最近は心理的安全性とよく言いますが、仲良しクラブではダメ。家族のように、厳しいことも優しいことも言い合える雰囲気が大事だと思っています。よく「素直が大事」と言いますよね。いい事業所はお互いを認めているので、「こんなのどう?」と言ったら「それ私やってみます」とみんながチャレンジする。なぜかというと、失敗してもみんなが許してくれる、「次頑張れ、いいじゃん」となるから。環境によって自然に素直さが出る、認め合う職場なんです。長所を見てくれるというか。

石川:僕がずっと持っていた仮説が検証された気持ちです。心理的安全性が本当にある会社って、「心理的安全性がない」と言う社員ではなく、「仲間のために心理的安全性を提供したい、だから私は周りを認めます」という人が集まっている会社なんじゃないかと。認め合うからこそ、お互い素直になれる。だからアドバイスが生きるし、挑戦できるし、失敗しても受け入れられるし、成功したらそれがシェアされる。究極のチームですよね。

ノアインドアステージの理念経営

石川:ノアインドアステージさんは理念経営もすごいと伺っています。理念経営を本格的に始めたのはいつ頃からですか?

大西:今から15年ぐらい前に「フィロソフィ」をつくりました。それを各現場で定期的に勉強会をしています。アルバイトさんも含めて、研修をやるときの最初の10分、15分で読み合わせをしたり、そのお題について一言ずつ話したり。要は、それに合う行動をとっていきましょうということです。100個ぐらいあって、人として大事なことが書いてあります。それを朝礼・夕礼などで活用して浸透させています。

大西:私自身も、月に10回ぐらいは朝8時から1時間ほど、8〜9人ぐらいで早朝勉強会をやっていて、従業員が朝オンラインで参加します。みんなが自分の選んだお題から一言ずつ話して、私がコメントする。そこで現場で起きていることもわかるし、人がどう頑張っているかもわかる。みんなの話を聞くだけで、違う事業所の人の頑張りもわかります。フィロソフィ勉強会、早朝勉強会、朝礼・夕礼などで理念の浸透を図っていますね。

大西:あとは普段のプロセス評価の中でも。ノアフィロソフィは100項目ありますが、ノアイズムという、今から17〜18年前につくったものもあって、こちらは8項目あります。たとえば「お客様感動」や「利他の心」など。自分がこの1カ月間それに沿って行動できたか、笑顔を出せたかなどを、上司と部下で評価し合います。3カ月に1回は360度でお互いに評価して、自分の認識と周りの認識が合っているかを確かめる。上司もずっと見ているわけではないので、毎月の面談で上司がすり合わせをして、行動指針に沿って行動できているかをチェックしています。

石川:ものすごく徹底されていますね。ノアイズム8項目、ノアフィロソフィ100項目。朝礼・夕礼でも1項目選んで話し、月10回は社長が直接朝会をやる。そこにアルバイトさんも含めて。

大西:そうですね。我々は正社員が現在300人、アルバイトさんが約700人います。アルバイトさんは毎日来るわけではありませんが、すごい戦力なので、来たときに我々の考え方をしっかり浸透させていくと、組織の方向がガチッと揃います。気に入ってくれたら、そこから採用にもつながりますからね。

石川:ちょっと謎が解けました。先日、うちの会社に「ノアインドアステージでアルバイトしています」という方が新卒採用で来たんです。こんな大学生がいるのかというくらい、人間ができていて。

大西:フィロソフィというか、周りのスタッフの関わりじゃないですかね。改めて、我が社の強みは、お互いに関心を持つことというか、仲間に対してのおせっかいというか関わりだと思っています。関わりが薄いところは、自分の仕事だけしていればいいとなる。関わりが深いと、誰かのために、「私はあなたのためにもっと何かしたいから何でも言って」となる。愛されたら愛し返す、認めてくれるからお互い認める。そういういい循環ができているということかなと思います。

石川:「我が社の強みは人です」という会社のうち、本当に人が強みの会社には、その先があるんですよね。お互いに関心を持つこと、おせっかいをし合うことだ、というところまで言葉にされている。本当に人が強みの会社だなと思いました。

大西:先週、全社員が集まる会があって、実は同業者の方も入っていたんですが、その方たちの感想にもありました。「ノアさんの強みはこれだ」と。

石川:本当の強みは行動に出るじゃないですか。おせっかいをする、お互いに認め合う、関心を持つ、というのが他社から行動として見えている。本物中の本物ですね。

大西:あり方だけでもダメで、あり方がすごくできていても、やり方の部分も並行してやる。元々我々もやり方ばかりだったんですが、あり方を入れていくことで、従業員が増えても全然ぶれなくなりました。人数が増えるとどうしても浸透が難しくなりますが、あり方を強く言っているので、会社が大きくなってもぶれなくなったと最近は思います。

組織拡大の経緯

石川:ここまでの流れを少し整理すると、まずインドア、そして時流に乗ったテニススクールというビジネスモデルで伸びてきた10年間。ただその中で組織の壁にぶつかり、離職が多かった。そこで大西社長自身のあり方が変わっていく3〜5年間があり、その中でノアイズムやノアフィロソフィをつくって理念経営が始まり、組織がいい組織になっていった。そこから一気に広がっていくのは、スムーズな流れだったんですか?

大西:幹部の会議や支配人の会議はありますが、私が現場に細かい指示を全然しなくても、支配人や部長のラインでいろんなことがなされていくようになりました。大きな決断はもちろんしますけどね。現場で自然に動くようになった。ただ、数字は嘘をつかないので、数字の伸びが悪いと思ったら何か起きているんです。そのときはちゃんと現場にヒアリングしたりしていました。

大西:それと私自身も、事業所によっては3カ月に1回は必ず現場に行くようにしているのと、日曜日の夜は年に大体52回ありますが、そのうちの3分の2ぐらいは現場との食事会の日程に充てて、現場とコミュニケーションを取る機会にしています。できるだけ現場の声を聞く。上からの声も聞きますが、現場に行くとまた新たな声もありますし、やっぱり現場は大事だなと改めて思いますね。

石川:年52回ある日曜日のうち3分の2は現場との食事。そこで組織の状態をチェックしていく。

大西:「この事業所いいな」とか、明るい事業所だったら、お客さんは楽しんで絶対来るやろなと。

次回予告

石川:前半戦では、ノアインドアステージさんがどんなふうに会社として伸びてきたかをお伺いできました。後半戦では、今日も話に出た支配人マネジメント、幹部育成のところに、すごい秘訣がありそうなので、そこに特化してお話を伺えたらと思います。前半戦ありがとうございました。

大西:ありがとうございました。

後編はこちら

【次の管理職がいない…】社員が「なりたい」と思う会社は、何が違う?【ノアインドアステージ/大西雅之代表/後編】

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