カルトの時代 ~ 我々はいま、没入を求めている ~
初めまして白潟総研の服部です!
この度、毎月更新しているHPのトップページ5枠のうち1枠を
4か月間お試しで貰えることになりました。
とても貴重な1枠なので
皆さんの好奇心を刺激できるようなブログを書いていきたいと思っています!
また代表の石川からは
「思いっきり情熱をぶつけてみろ」と言われていますので
中学生のころから考え、観察し、研究してきたことも盛り込んだ
「私の全て」を表現してみたいと思います!
そのため中々に癖があって、すご~く長いブログにはなるかと思いますが・・・
もしよかったら読み進めてみてください!
100名中3名くらいの方には、「おもしろい」と思っていただけるはずです!
実際にこれから4か月間は
こんなテーマでブログを書いていきたいと思っています。
「カルトの時代 ~ 我々はいま、没入を求めている ~」
「”空気”という暴力 ~ 会社を陰から支配する妖怪の正体 ~」
「人が”悪”に傾く瞬間」
「KAWAII LAB.から読み解く”かわいい”の再現性」
第1弾である今回は「カルトの時代 ~ 我々はいま、没入を求めている ~」です。
宗教という形を取らなくなった「カルト」が時代を席巻するようになりつつある。
そして全ての会社、特に首都圏にある会社にとって
「カルトになる」という選択が、取り得るべきものとなっている。そんなお話です。
ではここから、本編に入っていきたいと思います。
目次
カルトの時代が来た
”カルト”と聞いて、皆さんは何を頭に思い浮かべますか?
「人々を洗脳する危険な集団」
「人の判断能力を奪い、人生を狂わせるもの」
「自分には関係のない世界の話」
近代の”カルト”は確かにそうだったかもしれません。
この認識では、現代を捉え違えてしまいます。
今まで危険なものとして忌避された”カルト”は
世俗的なものへと姿を変えて、私たちのすぐ側に散らばっています。
・ついに紅白の舞台に立ったKAWAII LAB.
・No No Girls
・少数の人の熱狂的な支持を得ているブランド
もしくは
・皆さんの頭に浮かんだ実在する会社…もあるかもしれません
これらは全て「危険な集団」ではありません。
しかし組織構造を見ていくと、”カルト”と驚くほど一致しているのです。
今や”カルト”は私たちの生活の一部を占めるようになっています。
そして数年のうちに、私たちを支配し始めるようになる。
この事実を今見つめるのか、それとも「困ってはいないから」と傍観するのか。
それによって数年後の経営の形は大きく変わっていると思います。
現代における”カルト”の姿を描き
経営者として、どう捉え、向き合うべきなのかについて
書いていきたいと思います。
”カルト”とはいったい、何なのか
我々のすぐ側にあるカルト。その正体とは何なのか。
カルト研究の書籍を読み漁るとすぐに分かることは
どの研究者も「カルトへの統一的な定義は存在しない」と発言していることです。
「カルト」に込められる意味は、人や環境、時代、国によって変わってきました。
ただ変わらないのは広辞苑の定義です。
広辞苑によると、カルトとは・・・
① 崇拝
② 狂信的な崇拝
③ 少数の人々の熱狂的支持
どの定義にも共通していることは、
特定の人物・物などへの強力な「賛同の態度やあり方」を示しているということです。
その常人には理解できない(と思われている)
態度やあり方を指して、人々は「これはカルトだ」と言うわけです。
しかし、ここで重要な点が一つあります。
それは、広辞苑の定義をどれだけ眺めても
「なぜ人はカルトに惹かれてしまうのか」分からないということです。
冒頭にもお伝えしたように、
今やカルトは世俗的なものへと姿を変えて「私たちのすぐ側に散らばって」います。
なぜ人々は、”カルト”に惹かれてしまうのか。
その答えを得るには、カルトに触れたとき
「私たちの身に何が起こるのか」に焦点をあてなくてはなりません。
ここからは”カルト”の本質的なところに迫っていきたいと思います。
”カルト”の本質は、どこにあるのか
上述したように、研究者の間に、”カルト”に対する統一的な定義はありません。
ただ”カルト”と言われるものに触れた人々に共通していることがあります。
それが、広辞苑にもあった定義「少数の人々の熱狂的支持」です。
この定義と、多種多様なカルト研究の書籍を総合すると
カルトとは”没入”であると、言えると思います。
カルトの支持者は、カルトが提示する世界観に”没入”しています。
視野を絞り、それが絶対であるかのように思い込む。
没入とは、単なる「好き」や「熱意」とは明確に違うものです。
もっと深く、狭く、入り込んでいきます。
没入が起こったとき、人は自分の時間も、感情も、意味すら、注ぎ込んでいます。
気づかぬうちに感情を大きく揺さぶられ、多くの時間を投入するようになり、
合理的とは思えないお金の使い方を始めます。
そして最終的には「私は何者か」「私は誰か」といった
アイデンティティまで、捧げるようになります。
カルトが提示する世界観に生きていることが「自己の証明」になる。
そしてそのまま、カルトが提示する世界観の中で人生を歩んでいくのです。
ところで、いま皆さんはこう思っているはずです。
「そこまでするのは、頭がおかしい」「自分はそうならないだろう」と。
誰だってそう思うでしょう。
ただ、カルトの世界観に共鳴してしまった人は
「表面的な合理性」で生きていないのです。
生きる軸が違う。
だからカルトに惹かれている人と、そうでない人とでは
ほとんど会話が噛み合わないのも、ある意味当然なのです。
私たちが、カルトに惹かれるとき
では、いったい何が、カルトに惹かれる人と
惹かれない人とを分けているのでしょうか。
それは2つの要素によって決まります。
① 人生の意味への渇望の強さ
② 人生の意味への自己定義の強度

私たちは大なり小なり「人生の意味」を求めて生きています。
そして人は、意味のない状態に長く耐えられる生き物ではありません。
何のために働いているのか。
なぜ生きているのか。
自分はどこへ向かっているのか。
これらの問いに、明確な答え・自己定義を持てている人は
比較的カルト的なものには惹かれにくいでしょう。
ただ・・・これらの問いに
・明確な答えが持てなくなったとき
・今まで持っていた答えが揺らいだとき
人は自分で意味をつくるよりも、意味を与えてくれる物語に身を委ねるようになるのです。
そして”カルト”は、自分にとって「都合の良い物語」を語ってくれます。
カルトにハマっている状態は、名作映画のワンシーンを食い入るように見るのと同じです。
それが人生という単位で生じているに過ぎないのです。
少し想像してみてください。
夢中になって名作映画を見ていたのに、一時停止されて
「その映画見てる人ってなんか理解できない」と言われたら・・・
「鬱陶しいな、早く続きが見たい」
そう感じる人が多いのではないでしょうか。
実際に、その声を無視して、すぐに再生ボタンを押すでしょう。
没入している人にとって、外の世界にいる人の声はノイズなのです。
ゆえに、カルトの本質は”没入”です。
没入は不安からの逃避行ではなく、
不安の中で正気を保つための「本質的に合理的」な行為なのです。
さて
ここまで読んで何を感じたでしょうか・・・?
「いやいや、それは宗教や一部の極端な話だろう」といった方も多いと思います。
しかし、もしカルトの本質が「没入」だとするなら、
私たちはすでに、宗教ではないカルト的なものに、日常的に触れているのです。
私たちの日常的に潜んでいる”カルト”
⚫︎ 例えば、推し活。
推し活は、単なる娯楽ではありません。
構造的に見ていくと・・・
推し活とは、推しの存在を通じて、感情の波をつくること。
そして推しに時間とお金を投じることで、「自分とは何者か」を確認する活動です。
人は推しを通じて、喜び、怒り、悲しみ、期待し、感情を大きく揺さぶられます。
そしてライブや配信の時間に合わせて予定を組み、お金を使う。
実際に推し活の周辺で生まれてきた言葉は、「私は誰か」を定義するものばかりでした。
・〇〇推し:誰を推しているのか表す言葉
・自認〇〇:特定の人気キャラクターに自己投影している姿を指す言葉
(チェンソーマンの映画を見た方は「自認レゼ」は馴染み深いでしょう)
・アンリー:特定のメンバーを熱狂的に応援するあまり
他のメンバーやグループ全体を攻撃する過激なファンを指す言葉
・同担拒否:自分と同じ推しを持つ他のファンとの交流や関係を拒む姿勢
「~を推している私」「あのキャラみたいなところがある私」
「ファンの中でも過激派な私」「同じ推しを持つファンを拒んでいる私」
どれも「私は他とは違う」というニュアンスを含んでいます。
”私”の輪郭をはっきりとさせる言葉なのです。
推し活とは、先ほど見てきた“没入”そのものです。
⚫︎ ”ブランド”もカルト的なものの代表です
人は必ずしも、機能や価格だけでブランドを選んでいるわけではありません。
そのブランドを持つことで、どんな価値観を持つ人間として見られたいのか。
どんな人生を歩んでいると思われたいのか。
そうした問いに、ブランドは静かに答えてくれます。
ロゴや世界観に惹かれ、ストーリーを語り、気づけば「そのブランドを選ぶ自分」が、
大切なアイデンティティの一部となっていく。
これもまた、意味への没入と言えるでしょう。
⚫︎ あるいは、フィットネス
フィットネスに没入している人は、単に健康になりたいだけではありません。
本当にただ健康になりたいだけなら、とんでもないストイック集団です。
フィットネスを構造的に捉えてみると・・・
体を鍛えることを通じて、努力している自分、律している自分、
変わり続けている自分を、強烈に確認することができる装置
と言えると思います。
実際にフィットネスに没入している人は、食事、睡眠、生活リズムまで管理し、
身体そのものを「健康」という物語に埋没させていきます。
ここでもまた、人は意味に没入しているのです。
推し活、ブランド、フィットネス。
形はまったく違いますが、そこで起きていることは同じです。
人は、不安な現実の中で、自分が何者かであるかを保つために、意味に没入している。
そして重要なのは、これらがもはや「特別な行為」ではなく、
現代を生きる上での「本質的に合理的」な行為である、という事実なのです。
なぜ”カルト”は力を持てるのか
”カルト”が持っている構造については、ここまでで述べてきました。
では、なぜ”カルト”は力を持てるのでしょうか。
この問いに答えるには「カルトの歴史」に目を向けるのが一番です。
歴史を紐解いていくと
カルトが勃興したとき、力を持っているときの共通点が分かります。
それは「巨大な社会不安」「急激な社会変化」です。
この2つは「人生の意味への自己定義」の強度を、大きく揺るがします。
シンプルに言うと・・・
・自分は何者なのか
・なぜ自分はこんなにも苦しいのか、生きづらいのか
・自分の人生はこのままで、本当にいいのか
これらが分からなくなってしまうんです。
実際に古代宗教の多くは、飢饉や疫病、戦争といった、
人の力ではどうにもならない不安の中で生まれました。
たとえば世界人口の3分の2が信仰していると言われているキリスト教。
キリスト教が影響力を獲得するまでの流れは、3つのフェーズに分けられます。
① 巨大な社会不安・急激な社会変化
② 意味の揺らぎ・消失
③ 意味を説明する物語の誕生と熱狂的な支持
世界で一番短く、キリスト教の歴史を見てみたいと思います。
(『教祖の履歴書』という書籍を参考にしました)
① 巨大な社会不安・急激な社会変化
キリスト教の起源はローマ帝国の時代に遡ります。
当時はローマ帝国の支配下で、ほとんど自由が保証されていない時代でした。
宗教勢力としてはユダヤ教の一強。
しかしユダヤ教では救われない人も大勢いました。
代表的なのが、貧民です。
職業差別も根深く、娼婦や徴税人も救われない人々の一部でした。
彼ら・彼女らの身分は固定され、明日を生き延びられる保証もなく、
頑張りや必死さが報われる世界ではなかったのです。
② 意味の揺らぎ・消失
そうした状況下では、人々は「説明」を求めます。
なぜ生きているのか、なぜ私はこんなにも苦しむのか、なぜ世の中は報われない形なのか。
それに対する「納得できる答え」を得ることができないと
人々は不安に駆られ、苦しみを受け入れることができません。
③ 意味を説明する物語の誕生と熱狂的な支持
キリスト教は、この問いに対して極めてシンプルな答えを提示しました。
それが「あなたも神に愛されている」というメッセージです。
救う人々を限定していたユダヤ教の解釈を否定し
「神はもっと心が広いから、皆救ってくれるよ」と布教して回ったのです。
ユダヤ教で救われない人々にとっては
「これこそ真理だ」と飛びつきたくなる内容だったでしょう。
こうしてイエス・キリストは、貧民を中心に熱狂的な支持を得ることに成功しました。
そして、その影響力を恐れたローマ帝国によって処刑されてしまったのです。
構造的に言えばキリスト教は
世界の解釈、苦しみの原因、自分が何者かという定義を
丸ごと説明してくれる装置となったのです。
※ キリスト教については、複雑な内容になるのでかなりざっくり書いてます!
もっと詳しく知りたい方は、ぜひ専門書を手に取ってみてください
改めてまとめると
キリスト教が影響力を獲得するまでの流れは、3つのフェーズに分けられます。
① 巨大な社会不安・急激な社会変化
② 意味の揺らぎ・消失
③ 意味を説明する物語の誕生と熱狂的な支持
歴史は繰り返される
実は、これと同じ構造が、歴史的に何度も繰り返されています。
・近代産業革命に対する、ロマン主義の台頭
・ドイツにおける第一次世界大戦敗北後の、ナチスの誕生
・資本主義的な競争に対する、ヒッピームーブメント
・高度経済成長後の空虚感を拾った、統一教会・オウム真理教
・約15年前から影響力を持ち出した、ポピュリスト・極右政党
このように「意味を失った人間が正気を保つための没入装置」には
枚挙にいとまがありません。
いつの時代にも巨大な社会不安・急激な社会変化に
「適応したくない」「適応できない」人は必ずいます。
しかし、巨大な社会不安・急激な社会変化は
個人がコントロールできるような代物ではありません。
ゆえにいち個人にできることは、不安や変化に抗い、戦うことではないのです。
世界を単純化し、受け取る情報を選び、自分を救ってくれる物語に身を委ねること。
視野を狭くし、情報を遮断し、自分を救ってくれる物語だけを見ることです。
防衛反応としての「没入」こそ、
意味を失った人間が正気を保つために選び取った、「本質的に合理的」な行為なのです。
なぜいま、”カルト”は再び力を持ち始めたのか?
ここまでで、歴史的に見れば「巨大な社会不安・急激な社会変化と共に
カルトは生まれる」ということは、伝わったと思います。
そして逆説的に考えると
「カルトが生まれる時代には、何らかの巨大な社会不安・急激な社会変化がある」
ということなのです。
現代に根を張っている「巨大な社会不安・急激な社会変化」の正体こそ
いま”カルト”が再び力を持っていることへの答えになります。
⚫︎ 現代に根を張る巨大な社会不安・急激な社会変化
この正体は「資本主義」への信仰が、本格的に力を失い始めている、ということです。
1990年代・2000年代くらいまでは、資本主義への信仰が根強くありました。
実際に、当時はこのような価値観が主流だったはずです。
・今後も経済は成長するし、もっと豊かになれる
・国や社会の流れに乗っていれば、老後も安心して暮らすことができる
・努力をすればお金を稼げて、お金は幸せをもたらしてくれる
しかし現代において、このような言説を信じられる人は、どれくらいいるでしょうか?
それよりも
・どんなに成長しても、不安が消えることはない
・国も社会も、将来の安心を保障してくれない
・お金を稼いでも、幸せになれるとは限らない
といった言説の方が、一般的になりつつあります。
そして、それに対する「明快な答え」を示してくれる代わりの存在は、まだいません。
だからこそ、推し活やブランド、フィットネスといった
「意味を与えてくれる装置」に没入するしかない。
まさに「巨大な社会不安」であり「急激な社会変化」です。
現代は、戦後私たちを豊かにしてくれた「資本主義」が力を失う
「歴史的な転換点」とさえ言えるかもしれません。
ニーチェが生きていたら「資本主義は死んだ」と言ったでしょう。
そして、私たちはいま、「死後の世界」に足を踏み入れているのです。
突きつけられる「株式会社」への問い
資本主義は死んだ。もしくは、まもなく死ぬ。
そう仮定したとき、資本主義を体現した組織
「株式会社」は、どう在るべきなのでしょうか?
私は「カルトになるしかない」と考えています。
資本主義への信仰が崩れ去っているいま、
人々は再び「没入」を求めています。
しかし、「宗教」や「政治的イデオロギー」は
もはや”カルト”足りえることはできません。
昔と違って現代では、暴力性や支配性が厳しく制限されているからです。
GoogleやTwitterによって情報が増大し、社会的なリテラシーは相対的に向上しました。
そして法整備も社会のルールも、世界基準で整いました。
社会倫理・道徳規範から逸脱した組織は作れないのです。
つまり宗教も、政治も、国家も、個人も・・・
人々の「没入」を正面から引き受けることができません。
一方で株式会社は、
・日常に組み込まれ
・経済活動として正当化され
・法と社会倫理の制約下にありながら
・人の時間・感情・行動を継続的に引き受けることができる
現代において「没入」を社会的に許容された形で設計できるのは、
株式会社という枠組みしか、ほとんど残されていないのです。
ちなみに、この話は何も新しいものではありません。
1994年、今から30年以上前に、既に言及されています。
提言したのは、ジム・コリンズ氏。
伝説的な名著「ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則」の第六章は
「カルトのような文化」なのです。
以下はビジョナリー・カンパニーの一節です。
ビジョナリー・カンパニーは
イデオロギーに関してカルト的になっている
たとえばノードストロームでは、基本的な価値観を熱心に、
熱狂的に崇拝する社風をつくりだし、従業員の行動のなかから、
顧客サービスの英語物語をつくりあげているが、
ひとりのリーダーをやみくもに崇拝するよう強いてはいない。
ディズニーが価値観の維持に懸命になっているのは、
創業者のウォルト・ディズニーにルーツがあり、
創業者が死んで何十年か経過しても、ほとんど変わっていない。
当時は時代を超えて反映する「ビジョナリー・カンパニー」にのみ必要だったことが
時代を超えて普遍的に求められるようになったに過ぎないのです。
株式会社が”カルト”になるメリット
実は株式会社の”カルト”化は、時代の要請でもあると同時に
大きな経営的メリットを得るチャンスでもあります。
株式会社を”カルト”化するとは
「人を惹きつける究極の構造を手に入れる」ということです。
この構造が持つ経営インパクトは絶大です。
釈迦に説法だとは思いますが、現代は急激な人口減少社会。
リクルートワークス研究所の調査によると
・2030年には約341万人
・2040年には約1,100万人 もの
労働供給不足が発生すると予測されています。
これは人口動態に基づく、ほぼ確定している未来です。
採用も、育成も、定着も・・・
この先、難しくなることはあっても、簡単になることはないのです。
そんな時代に、誰かが「自社で働き続けてくれる理由」は、何でしょうか?
給与待遇では大手企業に勝てません。
実力を身に着けられる環境を磨いても、いずれキャリアの踏み台にされてしまいます。
「理念への共感」も選択肢の一つですが
巨大な社会不安・急激な社会変化の前では、もはや太刀打ちできないでしょう。
残された選択肢は「意味への没入」しか、ないのではないでしょうか?
本当に厳しく、難しい時代だと思います。
ただでさえ過酷な経営環境の真っ只中なのに
経営者は「人生を預けたい場所になっているのか?」という問いへの
答えも示さなくてはならないのです。
実際に・・・
”カルト”化に成功している組織は
白潟総研が深く知るお客様を100社並べても1社あるかないか、くらいの割合です。
裏を返せば「株式会社を”カルト”化する」とは
組織力でトップ1%になるチャンスとも言えるのです。
繰り返しになりますが
「没入」とは支配ではなく、アイデンティティの維持・創造です。
給与や成長環境だけでは、もはや人は残りません。
これから生き残り成長していく企業は「実存」を提供できる企業です。
没入を求めることも、弱さではなく「本質的に合理的」な選択。
人間が人間である証です。
これからの経営は「意味の設計」と真正面から向き合うしかありません。
自社を「没入できる組織」に変えるために
では、具体的にどのように組織の”カルト化”を行えばいいのか?
私が主体となって古代宗教、現代トレンド、実在する企業を研究し
再現性のある「5つの経営技術」として体系化しました 。
本当はこのブログで5つの技術すべてをお伝えしたいのですが、
それだと2万字を超える勢いになってしまうため・・・
「自社に当てはめるとどうなるか知りたい」
「今の組織課題の壁打ちをしたい」
という経営者・人事責任者の方へ向けて、
個別MTG(無料)にて、貴社の状況と照らし合わせながら直接お話しさせていただきます!
▼ ざっくばらんな壁打ち相手として、ぜひお気軽にご活用ください!
【 日程調整はこちら 】
▼ お電話・メールでの直接のご連絡も大歓迎です!
【 服部 匡伯 】
Tel: 080-7619-4440
Mail: hattori@ssoken.co.jp
自己紹介ブログ: [ 服部匡伯の物語 ]
【次回予告】来月も、HPトップページでお会いしましょう!
冒頭でお伝えした通り、これから4ヶ月間、私がこの枠をもらって毎月ブログを連載していきます!
本記事は記念すべき第1弾。
来月以降も、人間の深層心理や組織のリアルに迫る、エッジの効いたテーマをお届けする予定です。
▼ 4ヶ月連続ブログ・ラインナップ(予定)
【第1弾】カルトの時代 〜我々はいま、没入を求めている〜(←今回!)
【第2弾】"空気"という暴力 〜会社を陰から支配する妖怪の正体〜
【第3弾】人が"悪"に傾く瞬間
【第4弾】KAWAII LAB. から読み解く"かわいい"の再現性
「ちょっと面白かったな」「次も読んでみようかな」と思っていただけた方は、
ぜひ来月も弊社HPへ遊びにきてください!お楽しみに!