衝動と偏愛の経営
私はこれまで、中小ベンチャー企業の経営者の方からこんな言葉を何度も聞いてきました。
「最近の若手は、何というか、欲がないんです」
「優秀な社員ほど、数年で辞めてしまいます」
「もっと目標に執着してほしいのですが、なかなか熱量が生まれません」
もちろん、給与や評価制度、マネジメントに課題があるケースもあります。
ただ、それらを整えてもなお、社員の心に熱が生まれない。会社への不満が強いわけでもないのに、優秀な社員が静かに離れていく。
そんなケースを、私は何度も見てきました。
白潟総研では以前から、万人にとって魅力的な会社ではなく、特定の誰かにとって「この会社じゃないといけない」と思えるような「誰かにとっての楽園」をつくることが大切だと考えてきました。
私もこの考え方を土台に、人が会社を選び続ける理由について考えてきました。
そのなかで、さまざまな会社を見ながら考え続ける中で、もっと大きな変化が起きているのではないかと思うようになりました。
会社の問題だけではなく、私たちが生きている時代そのものが、変わり始めている。
少し遠回りになるかもしれませんが、まずは歴史の話から始めさせてください。
歴史を振り返ると、後に「ここが転換点だった」と言われる時代には、必ず大きな地殻変動が生じています。
そして、その地殻変動の多くは、二つの要因によって引き起こされてきました。
一つは、それまで社会を支えてきたイデオロギーの権威失墜。もう一つは、新しい革新的技術の誕生と浸透です。
特に近代は、イデオロギーの戦争だったとも言えます。
絶対王政から始まり、自由主義と国民国家がそれを打ち倒し、二度の世界大戦、そしてファシズムと共産主義との激突を経て、最終的に資本主義と自由民主主義が歴史の勝者として生き残りました。
実際にフランシス・フクヤマは、冷戦の終結を「歴史の終わり」と呼びました。イデオロギーの戦いは終わった、と主張したのです。
革新的技術の代表例としては、活版印刷があります。グーテンベルクの活版印刷は、登場した当初、ただの商業技術にすぎませんでした。
しかし数十年かけて、教会が独占していた情報を解体し、ルターの宗教改革という本物の激動を生む土壌になりました。
技術は静かに広がります。そして気づいた時には、社会はもう元には戻れなくなっています。
ナショナリズム研究で知られるベネディクト・アンダーソンも『想像の共同体』の中で、近代のナショナリズムは活版印刷によって可能になったと論じています。
活版印刷によって広がったナショナリズムは、後にファシズムや軍国主義の燃料にもなりました。
目次
そして、いま
資本主義というイデオロギーは、長らく「経済合理性こそが人を幸福にする」という価値を社会に与えてきました。
しかし、この数十年で、その価値は明らかに揺らいでいます。山口周氏のいう「高原社会」は、その象徴でしょう。
※7/30に「これからの中小企業探究会」という、お客様と白潟総研でこれからの中小企業の在り方について考える会でも、山口氏の『ビジネスの未来』という書籍から高原社会について考えました。今後も「これからの中小企業探究会」は継続的に実施していくので、ぜひぜひご参加くださいませ!
年収を上げ、物を買い、資産を築いても、それだけでは「幸せ」になれない社会です。
資本主義はもはや人を幸福へ導くイデオロギーではなく、社会を運用するためのシステムへと変わりつつあるように見えます。
たとえるなら、法律のようなものです。
多くの人たちは法律に従って生活しています。しかし「法律に従って生きれば幸せになれる」と考えている人はいません。
資本主義も、少しずつ同じようなものになっているのではないでしょうか。「資本主義に従って生きても、幸せになれるわけではない」
そう、多くの人が気づいています。
さらに直近数年で、そこにAIという新しい技術変数が加わりました。イデオロギーの空洞化と、技術の浸透。二つの地殻変動が、今、同時に臨界点へ近づいています。
だとすれば・・・もしかしたら今は「歴史の転換点」なのかもしれません。
そして転換点である以上、経営もその影響から逃れることはできません。
これまで「数字」を働く理由にしてきた経営は、もう限界を迎えつつあります。
数字の終わり
少し、乱暴な言い方をします。数字は終わった。
正確に言えば、生きるためには必要ですが、生きる理由にはなりにくくなった、ということです。
もっと成長したい。もっと年収を上げたい。もっと贅沢な暮らしがしたい。
もちろん、今でもそう願う人はたくさんいます。
ただ、経営者や社員の方と話していると、それだけでは頑張れない人が、確実に増えているように感じます。
だから、多くの中小ベンチャー企業の経営者の方からこんな言葉を聞きます。
「最近の若手は、何というか、欲がないんです」
「以前の社員と比べて、少し物足りなく感じます」
けれど、それは本当に「欲がない」からなのでしょうか。
「成長や年収は、自分に安定を与えてくれるかもしれない。しかし、それだけで幸せになれるわけではない」
若い世代ほど、すでにそのことに気づいているのかもしれません。
そう考えれば、数字だけを理由に頑張れないことも決して不思議ではありません。
もちろん現代でも「もっと成長したい」「もっと年収を上げたい」「もっと豊かな暮らしをしたい」と考えている人はいます。
ただ、そうした人の多くは、外資系コンサルティングファームや外資系金融機関、商社など、より高い給与や成長機会を提示できる大手企業へ向かいます。
成長を求めてスタートアップやベンチャー企業に入社してくれたとしても、その会社で得た経験を足がかりに、次の環境へ移っていくこともあります。
実際に、お客様から「年収を100万円上げると言われて、他社へ転職してしまいました」という話を伺うことも少なくありません。
それは、社員が薄情だからではありません。
数字を働く意味として信じている人ほど、より大きな数字を提示してくれる会社へ向かうことは、合理的な選択です。
一方で、数字に幸福を感じられない人に、数字だけを示して熱量を求めても、なかなか心は動きません。
これは、白潟総研自身も経験してきたことです。
白潟総研を承継した石川も売上や規模拡大だけを経営の目的にはしませんでした。
むしろ「無理をかけた成長や規模拡大をしない」ことを自らの経営におけるNGラインにしています。
数字は、会社を生かすために必要です。しかし数字だけでは、人がその会社で生きる理由まではつくれません。
つまり数字の意味を信じていない人は、数字だけでは頑張れない。数字の意味を強く信じている人は、より大きな数字を提示できる会社へ向かう。
中小ベンチャー企業にとって、これは非常に苦しい構造です。
道は見えません。突破口はあるのでしょうか。
八方塞がりとは、まさにこのことなのかもしれません。
けれど、「八方塞がりだ」と思うにはまだ一つだけ希望が残っているのではないかと、白潟総研は考えます。
塞がっているのは、実は七方だけです。
北へ続く一方が、まだ空いている。北極星へと向かう北の道は、まだ塞がっていません。
その道は「意味」へと続いています。
「意味」という、唯一の道
北極星は、地球の自転軸の延長線上に近い位置にあるため、夜空の中でほとんど動きません。
時代が変わっても、季節が変わっても、北極星は同じ場所にあります。
夜空で一番明るい星ではありません。それでも昔の人々は、北極星を見つけることで自分がどちらへ進めばよいのかを知ることができました。
動かないからこそ、道を示すことができたのです。
会社における「意味」も北極星に近いものではないかと考えています。
景気が変わっても、転職市場がどれだけ過熱しても、他社がより高い年収を提示してきても、その場所にあり続け、社員に進む方角を示すもの。
それが、意味です。意味には、さまざまな表現があります。
「私がこの会社で頑張る理由」
「私がこの会社にいる理由」
「この会社にいることが、自分のアイデンティティの一部になっている」
「自分のやりたいことと、会社の向かう先が重なっている」
会社そのものへの好意かもしれません。ある種の執着かもしれません。「ここでしか得られないものがある」という稀少性かもしれません。
言い表し方はいくつもあります。
ただ、それらはすべて、「なぜ私は、この会社を選ぶのか、選び続けるのか」という一つの問いに向かっています。
数字は、その時々によって変わります。給与も、役職も、業績も、評価も変わっていきます。
けれど、働く意味まで外部環境に合わせて動いてしまえば、社員は自分がどこへ向かえばよいのか分からなくなります。
だからこそ会社には、数字とは別に、動かない方角が必要なのだと思います。
その方角が、「意味」なのです。
意味によって、社員の中に生まれるもの
意味を示すことによって、社員の中には、ある感情が生まれます。
ありていに言えば、やりがい、ロイヤリティ、エンゲージメントといったものに近いのかもしれません。
その結果として、生産性や定着率が高まるとも言われています。
もちろん、それらも大切です。
ただ、意味を示すことに成功した会社で生まれるものは、そうした人事用語だけでは、十分に表せないように思います。
キーワードは「感情」です。
定着という観点から考えると、分かりやすいかもしれません。
経済合理性だけで考えれば、今の会社に居続けるという結論にならないことは少なくありません。
特に若手や第二新卒は、若いというだけでも転職市場で高く評価されます。
そこに仕事のできる優秀さが加われば、他社へ転職するだけで年収が100万円上がることもあります。
そう考えると「転職することが珍しい」のではありません。転職しない方にこそ、理由が必要なのです。
それでも今の会社に留まってくれるとすれば、それは極めて非合理的で、感情的な選択なのです。
収入が増えれば、欲しいものを買えるかもしれません。もっと遊べるかもしれません。生活にも、将来にも、ゆとりが生まれるかもしれません。
でも心が「いまの、この会社じゃないとダメなんだ」と叫んでいる。
他社でも十二分にやっていける実力を持った人が「この場所を、この人たちを失いたくない」と切望している。
年収が100万円上がる喜びよりも、この会社を、この場所を、この人たちを失う痛みを、避けたいと思う。
もちろん本人も分かっています。転職して収入が上がる生活も、それはそれで幸せなのだろうと。
あれが買えるな、こんなこともできるな、将来の貯蓄もこれくらい増やせそうだな。そんな未来は、悪くないどころか、きっと良い。
そして失う痛みは、時とともに薄れていきます。どんなに失うのが痛くても、1年後には、まぁ幸せにやっているだろうと思える。
合理的に考えれば、転職した方が良い。周りの友人も、きっとそう言うでしょう。
でも心が、どうしても、それを良しとしない。
論理によって導かれる経済合理性という機能的価値ではなく、心がどうしようもなく、そう動いてしまう。そんな情緒的価値を持つこと。
その意味で、非合理的で感情的な選択を、社員がしてくれること。さらに言えば、その選択に、社員が「誇り」を抱くこと。
100万円の年収が上がることよりも、この場所にいることが、大切な気がする。この場所を選んでいる自分が、好きになれること。自分らしい人生だと思えること。
ここで述べている「意味」とは、人間に、そうした非合理的で感情的な選択をさせる力です。
会社の意味は、綺麗な言葉として掲げられているだけでは十分ではありません。
その言葉が、社員の心をどれだけ動かしているか。
合理的には別の選択肢があるにもかかわらず、「それでも、この会社を選びたい」と思わせる力を持っているか。
そこまで到達して初めて、意味は組織の中で本当に機能していると言えるのだと思います。
意味に似ているようで、意味ではないもの
ここまで読んで、「パーパスやミッション、ビジョン、経営理念の話ではないか」と思われた方もいるかもしれません。
もちろん、これらは会社にとって非常に大切なものです。
会社はなぜ存在しているのか。何を成し遂げたいのか。どこへ向かっていくのか。
パーパスやミッション、ビジョン、経営理念は、そうした会社の方向を示すために欠かせません。
ただ、ここで述べている「意味」とは、少し役割が異なります。パーパスやミッション、ビジョンは、会社が進む方向を示します。
一方で意味は、人間に非合理的で感情的な選択をさせます。
似ているようで、この二つは同じではありません。一般的に、パーパスやミッション、ビジョンは社内外の多くの人が理解し、共感できるように言語化されます。
そして、簡単には変えられない前提でつくられます。
そのため、どうしても普遍的である程度抽象的な表現になりやすいものです。
たとえば、白潟総研の存在意義は「中小ベンチャー企業の社長を元気にする」です。これは創業以来変わっていない、白潟総研にとって根源的で、大切な言葉です。
これからも変わることはないと思います。
しかし「中小ベンチャー企業の社長を元気する」という言葉に、非合理的で、感情的な選択をしてもらうほどの力を感じるでしょうか?
「他社へ転職すれば、もっと高い年収を得られる。それでも私は、白潟総研に残りたい」と思わせるほどの強い感情を生み出せるでしょうか?
少なくとも、私自身は難しいと感じています。
白潟総研も、かつては離職率が50%に達していた時期がありました。
そこで石川が行ったのは、一般的に良いとされる制度を、さらに足していくことではありませんでした。
まず、自分自身と白潟総研の「らしさ」を見つめ直しました。そして、その「らしさ」に反するものを、経営から一つずつ捨てていきました。
好きな社長以外には、サービスを提供しない。好きではない人を、会社に入れない。無理をかけた成長や規模拡大をしない。お客様と長期的に付き合えないビジネスはしない。
自分たちが何を大切にする会社なのかを言葉にし、その言葉に合わせて、顧客・採用・事業・成長の仕方を変えたのです。
この「やらないことを決める」経営実験を経て、白潟総研の離職率は50%から2%まで改善しました。
もちろん、この変化を一つの要因だけで説明することはできません。
ただ私は、この実験の中に意味が組織で機能するための重要な条件が表れていると思います。
意味は、綺麗な言葉として掲げるだけでは足りません。
その言葉によって、何を選ぶのか。何を断るのか。何を捨てるのか。
経営判断がそこまで変わったとき、初めて意味は、人を動かす力を持ち始めます。
では、意味が本当に組織の中で機能しているかどうかは、何を見れば分かるのでしょうか。
ここには2つの視点があります。
一つは、人の感情を大きく動かしているかどうか。もう一つは、他社では代替できない固有性を持っているかどうかです。
白潟総研では、代表の石川が「組織コンセプト」という形で私たちが一緒に働く意味を示しました。
ここからは一部、私自身の解釈も含まれていますが、石川が示した意味について、少し見ていきたいと思います。
石川の根本的な考え方には「この世が生きるに値するとすれば、それは他者と生きることによってのみである」という思想があります。
石川自身も、売上・利益・成長・拡大といったものだけを会社を経営する目的にはしていませんでした。
むしろ、石川が抱えていた最大の痛みは「最高だと思える瞬間も、大切な仲間も、いつかは失ってしまうこと」でした。
人生には、さまざまな選択が待ち受けています。人はいつか死にます。いまこの瞬間は、この瞬間にしか存在できません。
その意味で私たちは、毎日かけがえのない時間を得ているようで、同時に、かけがえのない時間を失っています。
だからせめて、ただ失うのではなく、かけがえのないこの瞬間を「思い出」として記憶に、記録に残していくこと。
それこそが、私たちが生きる意味であって、白潟総研で一緒に働く理由なのです。
だからこそ白潟総研は、自分たちが心から惚れている社長としか仕事をしない「ファンベース経営」へと舵を切りました。
誰とでも仕事をするのではなく、自分たちが本当に大切にしたい相手を選ぶ。ある意味では、とても偏愛的な経営です。
それに、写真を撮るようになりました。写真は、かけがえのないこの瞬間を残してくれる、尊い記録なのです。
さて。この言葉には、非合理的で感情的な選択をさせる力があります。
なぜなら、そんな価値観に会社全体でここまで執着している組織はほとんど無いと思うからです。
少なくとも私は、白潟総研ほど、この意味に深くこだわっている会社を見たことがありません。
パーパスやミッション、ビジョンが、会社の方向を示す言葉だとすれば、意味を示す言葉は、人の感情を揺らし、その人にしか理解できない非合理的で感情的な選択を生み出す言葉です。
ここに、両者の大きな違いがあります。
この「意味を示す言葉」に最も近い概念が、人事領域で使われる「アスピレーション」だと思います。
一般的にアスピレーションは「熱望」「願望」「大志」などと訳され、自分が成し遂げたいことに対する強い思いを指します。
要するに「あなたは何がしたいのか」「何を望んでいるのか」「何に突き動かされているのか」という問いに対する答えです。
アスピレーションの作り方
では、会社に意味を示すために、アスピレーションを言語化しようと思ったとき、私たちは何から始めればよいのでしょうか。
ここで一番の落とし穴になるのが、アスピレーションを「作ろう」としてしまうことです。
アスピレーションは作るものではなく「産まれる」ものです。
設計書があって、それをもとに原材料を調達し、素材を加工して、組み合わせる。アスピレーションは、そうやって計画的に作るものではありません。
少し俗世的な例えになりますが、恋愛に近いところがあるように思います。
結婚には、ある程度の設計図があるかもしれません。年齢、価値観、暮らし方、収入、家族観。条件を並べ、現実的に考えることはできます。
しかし、恋愛には設計図がありません。「好きなタイプは?」と聞かれれば、いくらでも答えることはできます。
けれど実際に心を奪われる相手は、その答えとはまったく異なっていることもあります。
アスピレーションも、同じです。
「どんな会社にしたいですか」「何を大切にしたいですか」
そう聞かれれば、経営者はいくらでも答えることができます。
しかし、本当に自分を突き動かしているものは、頭で考えて出した答えとは、少し違うところにあることが多いのです。
顧客と出会う。社員とぶつかる。仲間と別れる。事業の失敗に傷つく。それでも、なぜか諦められないものが残る。
そうした経験を重ねることで初めて「自分は、本当は何を求めているのか」「何だけは、どうしても失いたくないのか」といった輪郭が、少しずつ見えてきます。
そしてごく稀に、自分の中にある偏愛と事業や組織、顧客との関係が深く噛み合う瞬間があります。
そのとき、火花が散るようにそれまで存在しなかった何かが生まれます。
だから最初にやるべきことは綺麗な言葉を探すことではありません。
まずは、自分のDNAを言語化すること。そして、そのDNAをさまざまな人や出来事にぶつけてみることです。
ここでいう自分のDNAとは「衝動」であり「偏愛」です。
広辞苑によると、衝動とは「人の心や感覚を突き動かすこと」、偏愛とは「かたよって愛すること」。
この二つは似ているようで、違うものを指しています。
偏愛とは、どうしようもなく心が惹かれてしまう対象です。
人かもしれない。仕事かもしれない。音楽かもしれない。あるいは思想や芸術かもしれない。
合理的に考えれば、もっと良い選択肢があるかもしれない。それでも、なぜか目で追ってしまう。なぜか気になってしまう。どうしても忘れることができない。
それが、偏愛です。
しかし、偏愛だけでは、人に非合理的で感情的な選択をさせるほどの力は生まれません。好きなものなら、誰にでもあるからです。
偏愛、つまりかたよった愛に、エネルギーが付加されたもの。それが、衝動です。衝動とは、偏”愛”が、溢れ出した状態なのです。
なぜか、人を放っておけない。気づけば、時間もお金も注ぎ込んでいる。周囲から理解されなくても、やめた方がよいと言われても、なぜかやめられない。
実際に白潟総研の偏愛は、社員に対して表れていました。
社員一人ひとりに、心の底から良い人生を歩んでほしいと願う。その思いが、社員旅行への大きな投資や、ときには本人の人生にまで踏み込む関わりへとつながってきました。
偏愛は静かです。しかし、衝動は人を動かします。
偏愛は、「好き」で終わる。衝動は、「やらずにはいられない」になる。
だから人を変えるのは、偏愛ではなく、衝動なのです。
では、あなたの衝動は何でしょうか。あなたは、何を偏愛しているのでしょうか。
すぐに答えは出ないかもしれません。それでも、試しに言葉にしてみてください。そして、その言葉を、さまざまな人に話してみてください。
共感されることもあれば、まったく理解されないこともあると思います。
誰かとの対話によって、初めて見えるものもあります。人や事業との関わりの中で、言葉そのものが変わっていくこともあります。
その長い道のりの先に、アスピレーションが待っているのです。
今でこそ「言葉」として完成した白潟総研の組織コンセプトも、初めから完成された言葉として存在していたわけではありません。
先にあったのは日々の経営の中に表れていた、いくつもの偏った選択でした。
心から惚れている社長としか仕事をしない。社員旅行に、一人当たり30万円前後の予算をかける。社員の仕事だけではなく、ときには人生にまで踏み込む。
合理性だけでは、説明し切れない選択です。
けれど、そうした選択を振り返っていくと、その根底に共通して流れているものが見えてきます。
それは「かけがえのない他者と生きる時間を、大切にしたい」という願いでした。
その願いが、さまざまな経験や対話を通じて少しずつ形を持ち、「成長ではなく、思い出を追う」という言葉へつながっていきました。
つまり、言葉が先にあったのではありません。
偏愛的な行動が先にあり、その行動を生み出していた衝動に、後から言葉が与えられたのです。
アスピレーションは、頭で設計して作るものではない。
自分がすでに繰り返している、非合理で、偏った選択の中から産まれるものなのだと思います。
最後に
今回述べてきた「意味」「衝動」「偏愛」という考え方は、私一人の頭の中から突然生まれたものではありません。
白潟総研が大切にしてきた「誰かにとっての楽園」や「らしさ」。石川が実践してきた、やらないことを決める経営。そして、経営者や社員の方と向き合う中で見てきた数字や制度だけでは人の心が動かない現実。
そうしたものが重なり、少しずつ「意味」「衝動」「偏愛」という言葉になっていきました。
実際に石川も私も、経営者の方とお話しする中で「うちには理念があるけれど、働く意味までは言語化できていない」「自分が本当に何に突き動かされているのか、分からない」という相談を受けることがあります。
この問いに、唯一の正解はありません。
白潟総研は、今なお考え続けています。だからこそ、面白いのかもしれません。
ただ、自分一人では見えなかったものが、誰かとの対話の中で、ふと姿を現すことがあります。
自分では当たり前だと思っていた選択に、他者から「どうして、そこまでするのですか」と問われる。その問いによって初めて、自分の偏愛や衝動に気づくこともあります。
もし「自社で働く意味を、もう少し深く考えてみたい」「自分自身の衝動や偏愛を、言葉にしてみたい」と思われた方がいらっしゃれば、気軽に声をかけてください。
私たちも答えを教えることはできません。ただ、一緒に問いを掘り下げ、まだ言葉になっていないものを探していくことはできます。
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また来月もお会いしましょう。