服部 匡伯の物語
かつて私は、大学で「平等とは何か?」という哲学的問いに向き合っていました。
理由は至極単純で、理不尽と不平等が嫌いだからです。
この世は理不尽と不平等で溢れています。
実際に、我々が最初に経験する理不尽が出生です。
この世に生を受けることを望んでいないのに
勝手に誕生させられるわけですから、理にはかなっていないですよね。
さらに醜いのは、出生の理不尽が不平等に分配されていること。
富は継がれ、貧もまた継がれる。富は子を富ませ、貧は子を貧さす。
だからこそ大学時代に目指していたのは
「この世の”不平等”という不正を暴き、平等の正しさを証明すること」でした
当時の私にとって平等の研究は、自分の全てでした。
(興味のない授業は参加せずに単位を落としてしまうくらい…)
そして、研究がかなり進んできたある日のこと…
哲学好きの友人に平等研究の話をしたところ、こんな言葉が返ってきました。
「え、その研究者、誰?」
「へ~そんな人いたんだ」
驚きと、悲しさと、無力感。いろんな感情が渦巻きました。
平等の分野では著名なはずのその哲学者は、哲学好きな友人に知られていなかった。
そのとき、私は気づかざるを得ませんでした。
どれだけ不平等の不正を暴き、平等の正しさを証明しても…
それが誰にも届かず、現実を動かさないなら、「存在しないのと同じ」だと
誰にも聞かれない歌、誰にも読まれない小説。これらは確かに存在しています。
しかし、あってもなくても、誰も困らない。何も変わらない。
平等の研究も「同じ道を辿るだろうな」と思いました。世の中は”平等”という、何だか嘘っぱちに聞こえる面倒くさい綺麗ごとに、興味がないんです。
そんな「存在しないもの」を生み出すことに、自分の人生は使いたくないと思いました。
ならば、現実を動かす場所=ビジネスに飛び込むしかない。
「どんな仕事をしよう」
そう考えていた時期に光となったのが、経営者である父の存在でした。
私の父は栗せんべいを作る、和菓子メーカーの2代目社長でした。
(現在は会社をたたんで老後生活を満喫しています)
私は幼いころから、お客様や従業員のために、
身を粉にして働いている父の姿を見てきました。
家に帰ると、服を脱ぎ捨て、ソファに沈み込む。
夜ご飯を食べて、酒を片手に虚ろな目でテレビを眺める。
大変な仕事だったのだろうなと思います。
実際に当時の父は、母から「瞬間湯沸かし器」と呼ばれるくらい短気で、
気難しい人間でもありました。
それでも父は誇りを持って経営の現場に立ち続けていました。
ちなみに大人になってから知ったことですが、当時は数千万円の借入があったそうです…。
借入を全て返し、従業員に報い、利益を残して
会社をたたんだ父の生き方は、本当にかっこいい。
だからこそ「経営者を支える」という仕事は、人生を捧げる価値があるものに思えました。
平等の研究から一転ビジネスの世界で勝負することになって
そのフィールドとして「経営コンサルタント」を選び、白潟総研に入社した。
ただコンサルタントになってからも
「何かを研究・探求する」という姿勢は変わりませんでした。
研究・探求するテーマが「平等な社会」から「人はなぜ動くのか」へと姿を変えただけです。(このテーマの研究・探求を始めたのは”人間”という生き物に興味があったからだと思います)
実際に入社してからは、行動経済学、脳科学、カルト宗教、アイドルなど、
「人はなぜ動くのか」を問うあらゆる分野から研究・探究を続けています。
そしてその知見を組織づくりやマネージャー/幹部育成に繋げ
父のような経営者を少しでもサポートすることが、私の人生の意味です。
だから私は、経営者を支える道を歩み続けようと思います。