白潟総研 承継ストーリー 《承継直後の2年間》| 代表取締役社長 石川サイド

 実は、白潟総研の経営承継には、白潟からの発案で2つの時間差がつくってありました。

 ひとつは、内々の経営承継と対外的な経営承継に2年間の時間差をつくること。
 そしてもうひとつは、対外的な経営承継から株の承継に3年間の時間差をつくること。

 最初にこの案をきいたとき、なぜこの時間差をつくるのか? 私はその理由がよくわかっていませんでした。「白潟がそっちのほうがよいというのだから、そうなのだろう」くらいの感覚だったと思います。

 でも、この【2年の時間差】が私たちにとっての何よりのプレゼントだったのだと、今ならわかります。

 この2年間が白潟総研の承継にとって、どのような時間だったのか。『白潟総研の承継ストーリー』と銘打って、私のブログを皮切りに

 ・No,2の畦田サイドから見た2年間(2026/1/6)
 ・幹部たちサイドから見た2年間(2026/2/1)
 ・社員たちサイドから見た2年間(2026/3/1)

と、4回の連載で様々な切り口から承継直後の2年間について語るブログをお届けしていこうかと思います。ひとつの会社の承継ストーリーとして、今後会社を承継していく社長さまにも、会社を受け継いでいく後継者・次期経営チームの幹部のみなさんにも、ヒントとなるものになれば幸いです。

 ぜひ1月東京、2月大阪にて実施する、

【白潟総研|承継記念セミナー】 白潟敏朗 後継者・幹部育成のすべて


 と合わせて、このブログもお読みいただけたら幸いです。

目次

2023年10月:承継直後、何をおもったか。

 内々での経営承継の直後、一番最初に思ったことは
「今まで白潟を中心につくりあげてきた経営幹部たちとの関係を、いかにつなぎ直すか?」
でした。

 手前みそになりますが、白潟総研の経営幹部は超優秀です。どこに転職しても即戦力として強力なエンジンになれる。当然、そんな人間たちなので、転職したほうが給料も上がる。それでも白潟総研で踏ん張り続けてきたのは、私も含めた幹部全員、とにかく白潟が大好きだったからです。

 白潟と働きたくて、白潟の描いた未来を実現したくて、白潟総研で踏ん張ってきた。白潟が白潟総研の世界の中心で、白潟と私たち経営幹部ひとりひとりが強烈につながっている。そんな世界観で白潟総研の経営チームは成り立っていた。それが私の認識でした。

 そんな白潟総研の社長が、白潟ではなくなる。幹部たちを強烈に会社にひっぱる力がなくなり、とつぜん無重力に放り出されたような、迷子になったような…ふわふわした感覚に、幹部全員なっていたように思います。

 このまま進むことはできない。このままでは自分も含めて経営幹部みんな、ふわふわしてどこかに飛んで行ってしまう。白潟総研の最大の強みである経営チームが、空中分解してしまう…カリスマ経営者の後継者であれば全員がぶつかるであろう課題に、私もぶつかりました。

 経営幹部たちと会社をいかにつなぎ直すか?

そのためにも、

①まずは自分自身が何のために、なぜ白潟総研を経営するのか、あらためてじっくり考え、自分の軸をつくらなければならない。

②その軸があったうえで、経営幹部たちと会社をつなぎ直していく。

③そして、さいごに、社員たちをつなぎ直していく。

それが、私の承継直後2年間で最初に行った経営者としての仕事でした。

2023年10月~2024年1月:自分の軸をつくる3ヵ月間

 2023年10月に社内承継をしてからの3ヵ月間は、今までの自分・白潟総研を見つめなおすことに、とにかく多くの時間を使いました。

 今までの人生を振り返っても、最も内省した3か月間だったと思います。そして内省に集中するために、「白潟には会わない」と決めた期間でした。

 今までだったら、考えられないことです。白潟総研のNo.2として、白潟とは毎日のように会話をしていました。経営の話をすることもあれば、学友のようにバカな話をすることもありました。

 でもこの時期に白潟というカリスマ経営者に会ってしまったら私は絶対にその影響を受けてしまう。白潟がどう思っているか、白潟の求める答え探しをしてしまう。そうなれば確固とした自分の軸を作ることはできない。白潟に頼るのではなく、自分一人で軸を見つけ、作らなければならない。

 この時期は、誰とも合わずに業務時間外の朝・夜・休日はひたすら自分の中から出てきた言葉を机にむかって紙に書いていました。

 そのおかげもあって、少しずつ自分の軸が、自分の”らしさ”が、見えてきました。

 何のために白潟総研を経営するのか、白潟総研という船でどこに行きたいのか。どんな社員と一緒に仕事をしていきたいのか、どんな社長を元気にしたいのか。何より自分が大事にしていること、承継しても変えたくないこと・・・
 “経営のコア”と言える言葉が紡ぎ出されていきました。

※ 経営者の軸である”らしさ”については、『自在経営』のサービスページをもしよかったらのぞいてみてください。まずは自分の軸探しからスタートすることができたのも、この『自在経営』の考え方があったからです。

『自在経営コンサルティング』サービスページ

2024年2月~2024年7月:幹部と自分を繋ぎなおす5ヵ月間

 自分が軸ができたら、それをもとに幹部と自分のつなぎ直しをスタートしました。そのための場として、まずは経営チーム5人で2泊3日の経営合宿を行いました。

 普段オフィスで行うようなミーティングでは心の底から語り合うことはできない。場所を変えて、外部から切り離された場所で、繋ぎなおす対話だけに集中したい。そのためには合宿が一番効果的だと思ったんです。

 実は、合宿という“腹を割って向き合う場”をつくることには、恐怖も感じていました。自分の軸に、経営幹部(畦田、井上、武井、吉田)が賛同してくれるかは分からない。もしかしたら、「私は違う」と感じて、どこか別の会社へ旅立ってしまうかもしれない…

 合宿ではあえてアジェンダも決めず、私が事前に言語化した想いを皆に見てもらいました。それをもとに結論を焦らずダラダラと話し合い、同じ時間を一緒に過ごしました。

 合宿を経て、大きな方向性をすり合わせることはできたと思います。経営チームのみんなでずっと一緒にだらだら話し続けたことで、お互いのことを多少なりともつなぎ合わせることができたと思います。

 ただ、本当の本当に全員が同じ気持ちにまでなれたかは、正直わからなかった。だからこそ、たぶん武井からの提案だったと思うのですが、全幹部と個別の合宿を行い、さらに深く話し合うことを決めました。

 まずは、私とNo.2の畦田・幹部の3名での2on1合宿をひとりひとり行っていくこと

そしてそのうえで、

 私と畦田で沖縄合宿2泊3日の合宿を行うこと

が決まりました。この半年間は、毎月畦田と幹部の誰かと合宿をしていた。この期間でゆっくりと経営幹部と繋ぎなおされていったのだと思います。何よりも、畦田と深くつながっていけた期間でした。

2024年8月~2025年3月:石川と社員とつなぎ直す『稀少な会社づくり』の期間

 私と経営チームを繋ぎなおしたら、最後は社員です。社員とのつなぎ直しの中で意識したのは、今まで白潟総研の最大の課題であった社員の定着率を大きく改善すること。そのために自分の軸…”らしさ”を思いっきり出した『稀少な会社づくり』を行いながら、社員とのつなぎ直しを行っていきました。

 結果として、この2年間の社員の離職は1名だけ(試用期間中の離職)。大成功をおさめることができました。

 この期間について詳しく書くと1万字でも足りないくらいなので、大事なところだけピックアップして共有します。 ※『稀少な会社づくり』にご興味ある方は、担当コンサルタントにお申し付けください。セミナーの録画をお送りします。

 大きく意識したことは2つ

① ビジョンの話をひたすら手を変え品を変え行うこと
 ☑「ビジョン」を説明するための鉄板スライドをつくること
 ☑ 鉄板スライドを毎月の全体会議、社内研修、採用説明…話せるすべての場面で繰り返し話し続けること。
 ☑ 何回も同じ話しをする中で、自分の中でもより鮮明にビジョンを磨き上げていくこと

② 自分の”らしさ”が反映された人事・組織施策を実施していくこと
 ☑ “らしさ”に合わない人事制度や組織施策をやめること
 ☑ 既存の人事制度や組織施策で“らしさ”に合うものは、何のためにやるのか?の理由づけを変え、繰り返し伝えること
 ☑ “らしさ”に合う人事制度や組織施策を追加し、石川自身が率先垂範してその制度・施策を活用すること。

 結果として、「こんな会社見たことない!」と求職者や社員に思ってもらえるような『稀少な会社』づくりに成功し、社員とのつなぎ直しも成功したのではないかと思います。

この2年間の意味

 もし、2年前に対外的にも経営承継を行っていたら、きっとわたしは浮足立ってしまい、平常心で自分と、幹部と、社員と向き合うことができなかったのではないかと思います。この2年間があったからこそ、周りからの見られ方の変化に戸惑うことなく、じっくりと承継していくことができました。

 【2年間の時間差】は、石川という人間の性格や特徴を深く理解してくれていた白潟からの、何よりのプレゼントだったのだと今ならわかります。

 承継期間の2年間の時間差も含めて、白潟から最も愛と時間をもらったのは自分なのではないかと自惚れてしまうくらい、本当に最後の最後まで愛された時間でした。

 白潟から受けた愛、白潟の魂の一部が、確かに私の中にあると思います。白潟から譲り受けた「中小ベンチャー企業の社長を元気にする」という火を、絶やすことなく、より強く燃やしていけるように、経営業に邁進してまいります。
 ぜひぜひご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。