「経営はおもしろい。」社長という仕事を愛した阪本社長の経営人生と、交代決断のおもい
私 服部をはじめ、白潟総研が大好きな創研情報株式会社の阪本社長が6月にご勇退されました。
阪本社長のファンとして、社長の経営人生を残さないわけにはいかない。
普段は「100人中1人におもしろいと思ってもらえれば…」と、毎月ひっそりと連載枠を持たせていただいている私ですが、今回ばかりは「阪本社長の物語をたくさんの人に届けたい!」と、石川へ直談判してこの特別枠を勝ち取りました。
これまで、何度もお話を聞かせてもらってきましたが、私から見えている阪本社長は
「どんなことがあっても動じない」大木のような存在です。
売上3億円減の危機、2億円の借入、パンデミック。
どんなときにも冷静に数字を見つめ、「今やるべきこと」を見定めて乗り越えていく。
多くを語らず、いつも謙虚な広い心ですべてを受け止める。
不思議なのは、これだけ大変なことを経験してきた阪本社長が経営について話すとき
いつもどこか楽しそうなことです。
売上が大きく落ちても、何億円もの借入をしても、パンデミックに見舞われても。
阪本社長の口から出てきたのは、「経営はおもしろい」という言葉でした。
なぜ、これほど大変な仕事を「おもしろい」と思えるのか。
そんな阪本社長に
あらためて約14年の経営者人生の中で起こったできごとや感じた想いをお聞きしました。
「経営はおもしろい」と、「社長」という仕事を誰よりも愛した阪本社長が、どんなおもいで次にバトンを渡したのか。
阪本社長の経営人生をここに残します。
【阪本社長のプロフィール】
1961年奈良県奈良市生まれ(65歳、丑年、牡羊座、B型)
1982年大阪の会社に就職し東京へ赴任(訳あって退職)
1983年に創研情報にIT業界未経験者として中途入社
入社後は、先輩の指導の下、システム開発を行う。
2003年頃から管理が主となり
2008年頃から開発から営業をメインに
2010年に取締役に就任
2012年に代表取締役社長に就任
2026年に取締役会長に就任
家族:妻:1人、娘:1人、(息子:1人)
千葉県船橋市在住
好きなもの:平和、お酒、ゴルフ、最近バスケ観戦、飼っている猫
目次
1. 現場から経営のトップへ:認めてもらったあの日と、京都オフィス立ち上げの挑戦(2012〜2013)
阪本社長が、正式に創研情報の社長に就任したのは、2012年4月2日のことでした。
このとき、阪本社長の中で一番大きかったのは
「ようやく認めてもらえた」という感情です。
社長になりたいから頑張っていた、というわけではありません。
ただ、長い間現場を背負い、会社の数字と向き合い続けてきた自分の仕事を
ようやく認めてもらえた。
「社長」という肩書き以上に、そのことが嬉しかったのだそうです。
実は、阪本社長は就任前の約5年間、実質的な営業やマネジメントといった事業の仕事は、すでに最前線で行っていました。
前社長が新しい種をまく活動に集中する中、ずっと現場を引っ張り続けてきたのが阪本社長だったのです。
そのため、引き継ぎは特にありません。
肩書きや立場は変わっても、やることは変わらない。
そんなスタートを切った阪本社長は、社長就任から間もない2013年、
2人の協力のもと、京都オフィスを開設します。
当時、京都のお客さんはほぼゼロ。
「3年やってダメだったら撤退する」という冷静な数字基準をあらかじめ持って踏み切った挑戦です。
東京を離れられないご自身の代わりに、信頼できる2人に拠点を任せていましたが、
阪本社長自身も、京都には月に1、2回ほど通い、京都の仕事に大きな意識と時間を投資しました。
2. 10億円達成と絶頂期:達成感よりも真っ先に来た「ホッとした」感覚(2014〜2017)
2013年に開設した京都オフィスは、当初の1、2年は赤字が続きました。
しかし、3年目を迎える頃には、ついに黒字化を果たしたのです。
「3年やってダメだったら撤退する」
立ち上げから3年間、このラインを見据えて粛々と前進を続けてきたからこその結果です。
そして、その後も売上は右肩上がりに伸び続け、2017年頃にはなんと、東京の事業部と合わせて売上10億円を達成。
これが阪本社長の経営人生における売上のピーク、そして感情的にも最高潮の時期でした。
しかし、10億円を達成した瞬間の阪本社長が持っていたのは
「ホッとした」という安堵の気持ち。
「やったぞ!」という高揚感よりも、「ここまで来られた」という安堵。
大きな成果を出しても、自分の手柄を誇るというより
まず無事にここまで来られたことに胸をなで下ろす。
この反応にも、阪本社長らしさが表れている気がします。
京都の黒字化をはじめ
会社全体の大きな節目を一つずつ、乗り越えた実感を持てたのです。
3. 暗転と耐えの時期:売上3億減と2億の借入、コロナ禍(2018〜2020)
売上10億円を達成した翌年、順調だった阪本社長の経営に、大きな試練が訪れます。
2018年、大型プロジェクトの終了によって、売上が約3億円も急減。
営業でなんとか手を打ったものの、すべては実らず、利益的にも厳しい状況へと陥ってしまったのです。
さらに同年、前会長の引退に伴い、株式の承継という大きな問題が発生します。
業績が良かったために跳ね上がっていた自社の株価を抑え、引き継ぎにかかる税金や費用を調整するため、前会長へ退職金を支払うなど約1.5億円の資金を動かすことになりました。
さらに、会社の手元資金を減らしすぎないよう、銀行から2億円を借り入れます。
会社の蓄えが一気に出ていき、2億円もの重い借金を背負う。
前会長が引退したことによって相談できる相手も減り、財務上のリスクとともに、孤独が押し寄せます。
それでも、阪本社長は動じませんでした。
「2億の借り入れは、10年間で返せばいい。毎年2000万円の利益を出せば返せる」と
冷静に計算し、現実を受け止めていたのです。
どうにもならない未来を想像して不安になるのではなく
今、自分たちにできることを見る。
私が阪本社長に感じている「どんなことがあっても動じない強さ」は
こういうところから生まれているのだと思います。
そして、この状況に追い打ちをかけるように、2020年にはコロナ禍が直撃します。
売上もさらに下がり、厳しい状況が続きました。
しかし、このときも阪本社長は冷静です。
決して諦めていたわけではなく、「今は耐えるときだ」とじっとこらえていたのです。
悩んでも状況は変わらない。
感情を乱すことなく、ただひたすらに、やるべきことに向き合い続けました。
4. 「社長を作りたい」:次世代へ繋ぐ組織改革と夢(2021〜2025)
コロナ禍に耐えている中でも
阪本社長は「後継者の育成」もスタートさせました。
このタイミングで、京都支社と東京の主力事業を合わせて3つの事業部に再編し、それぞれを任せる3名を次期社長候補として抜擢しました。各事業部には独立採算を意識した組織運営を任せ、3名が経営意識を養える環境を作ったのです。
実は、阪本社長には以前から「社長をたくさん作りたい」という夢がありました。
自分の会社を大きくするだけではなく、社長をたくさん作りたかったのです。
阪本社長にとって「社長」という仕事は
自分で考えて、自分で決めて、自分で実行し、その結果が返ってくるもの。
個人としての売上目標を超え、事業部という大きな規模でそれを経験し
自ら考えて決断する。
阪本社長は、そんなところに経営のおもしろさを感じていたのです。
そして、このおもしろさを他の人にも味わってほしい。そんな想いが、次世代のリーダー育成や、思い切って組織を任せる原動力となっていたのです。
5. 勇退とバトンタッチ:決断の前倒しと、未来に託した想い(2026)
最終的に、阪本社長がバトンを渡すことに決めたのは、京都オフィスを立ち上げから支えてきた信永さんです。
次のリーダーを見極めるフェーズの中で、しっかりと計画を立て、数字・目標を確実に上げて成果を出す、という高い成果と実行力を示し続けてくれたのが、信永さんでした。
「経営のおもしろさを次に味わうのは、この人であってほしい」
阪本社長は、心からそう思えていました。
そして、信永さんへの交代にあたって、次の課題となったのは、阪本社長が100%所有していた株式の承継です。
様々な手法・やり方を調べ、考えを尽くし、
阪本社長は「上場企業グループへの参画(M&A)」という選択肢を取り入れながら
信永さんへバトンを繋ぐ形を整えていきました。
会社の内部留保が積み上がり、株価は約2億円規模。
信永さん個人が買い取るのは非常に大変な状況でした。
株の承継問題をスムーズに解決することに加え、SES業界のAI化対応や社員たちの成長の場を広げることを見据えての決断です。
もともと社内や社員に対しては
「2028年7月」に経営を交代する計画であると伝えていました。
しかし、SES業界を取り巻く環境の変化やAI技術の急速な進化を前に、阪本社長は「これからの新しい時代を切り開くには、信永さんが引っ張ってくれる方が良い」と判断。
当初の計画を1年前倒しして、2026年6月での社長交代を決断しました。
想定より1年早く、経営の第一線を次に託した阪本社長。
自分でやらなくなると、あまり面白くないな…と思いつつも、信永さんがバトンを受けとってくれたことに対しては、「よかった」という安堵がありました。
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正式な社長就任から約14年。
自ら現場に立ち、絶頂期も大きな危機も、コロナ禍の耐え忍ぶ日々も
大木のようにどっしり構え、やるべきことをやり続けた阪本社長。
「社長」という仕事を愛し、ここまで走り抜けた阪本社長が、
経営人生のバトンを「任せたい」と思える次の世代へと手渡すことができたこと。
本当に尊いことだと感じています。
自分のことではなく、会社の未来や社員の未来を第一に考え
「次の人に任せた方がいい」と決めた。
それは、経営を愛してきた阪本社長だからこそできた
最後の経営判断だったのではないでしょうか。
最後に、阪本社長。
阪本社長のひとつの大切な節目に立ち会わせていただき
あらためてお話をお聞かせいただけたこと、本当に嬉しく思っています。
「経営はおもしろい」
14年間の出来事をお聞きした今
この言葉は、最初に聞いたときよりもずっと重い言葉として、心に留まっています。
売上が伸びるときも、落ちるときも。
大きな借金を背負うときも、耐えるしかないときも。
次の世代に未来を託すときも。
自分で考え、自分で決め、その結果を引き受ける。
そのすべてを含めて、阪本社長にとって経営は「おもしろい」ものだったのだと思います。
約14年間、本当にお疲れさまでした。
そして、経営のおもしろさを見せてくださり、本当にありがとうございました。